楽して生きることは不可能だと、是でも一応分かってる。


痛みは受けた。しかし足りない。

いつか俺は報いを受けるのだろう。





















ガラス板一枚挟んで女がひとり、向こう側に座っている。

らしくもなく無言で俯く。似合わねぇ。

「何か用か?」

とてもとても機嫌が悪いとでも言いたげな表情を半ば無理やり作り問う。

膝の上で固く握られた手が震えている。

普段なら煙草でも銜えて余裕ぶるのだが、この状況で俺に煙草が与えられることはないだろう。

黙ってたんじゃ分かんねぇよ。

言いかけて喉の奥に押し戻した。

あまり何だかんだと言うものじゃないと。

「........どうして」

「どうして、なんて言われてもな」

新聞、見たろ。

『西新宿の殺人鬼逮捕!!』って、阿呆かってくらいでかでかと書いてあっただろう。

俺一人が今までの殺しを全て行ってきたわけじゃない。

そのくらい少し考えればガキでも分かる。

同業者なんぞ腐るほどいる。


運が悪かったんだ。


その一言で片付けるには重い話になっちまうが。

「嘘でしょ?」

「嘘じゃないからこうして大人しく捕まってる」

すぐ後ろ彼女と俺の後ろにそれぞれ立っている偉そうな大人を指差して言う。

こういうキッチリとした大人には死んでもなれねぇ と 思う。

ネバーランドか。気分は今も子供のままだ。いい歳して。

「悪ィな」

何も言わないから彼女が何を求めているのかも分からない。

怒っているのか悲しんでいるのか憎んでいるのか失望したのか。

尤も何であっても俺にはあまり関係ない話だ。そうなってしまう。

こんな処なんて来なければ良かったのに。どうせ何の解決にもならない。

勿論謝って済む話でもないと分かってはいるんだけど。

そうなるのなら警察はいらない、って言うしな。

彼女はとても優しいから、俺の行為を許せるとは思ってない。

なんというか、意地を張ってでもただの清掃員を装っていて良かったと思う。

今まさにその代償が来ているということなのだが。

まあ何にせよ代償は付き物だ。

美味い汁だけ吸えたらどんなに人生楽に終わらせられることか。

無表情な大人に面会時間の終了を告げられて、彼女はやはり無言で席を立った。

こんな風に人生も終了を告げて貰えれば楽なんだろうな。

是が最後の逢瀬かもしれないなんてこと、彼女は思ってるんだろうか。










テレビ、雑誌、ネット

今時情報を得る手段など腐るほどある。それこそ俺の同業者と同じくらい。

腐った人間だって腐るほどいる。だからこの世も腐るんだ。

マスメディアはあることないこと兎に角情報と呼ばれる類のものをだらだらと垂れ流す。

当然俺関連のことも。

俺は読んでいないが、今までのことから大体は想像できる。

きっと頭がおかしいだとか精神病だとか、殺人が快楽だとか、

ワンパターンだよな。

だけど俺自身何故こんな仕事していたのかはよく分からない。

でも、少し考えれば分かるような気もする。

結局は一部の女がやる援助交際と一緒じゃねぇの。こんなモン。

少し罪の重さや汚れ具合が変わる程度で、金だとか犯罪だとかは同じだ。

目的は一つ、金の確保だ。

まあ、此処で俺が灰色の天井を見つめながらこんなことを考えていても、

『俺が今監獄にいる』という事実は変わりようのないことなんだから、考えるだけ時間の無駄だ。

そう考えなくても俺の処罰はすぐ分かる。処刑 若しくは良くて終身刑だろうか。

困ったな。流石にこの歳でまだ死にたくない。

かと言ってこんな埃っぽい処でジジィになるまで暮らすなんて耐えられるかって。

是を解決する策も、特に考えずに答えが出る。


以前も此処に捕まったことがある。

ちょっとばかり無茶をした。若気の至りだ。

その時も上手く脱出したんだ。裏の世界の住民ならば誰でも知っているとてもとても簡単な方法で。


「ちょっと其処のおにーさん」

見回りをしている看守を呼び止める。

帽子を目深に被っている、初老で無精髭を生やしたオッサンだ。

間違っても『おにーさん』なんて年齢じゃない。其処いら辺はご愛嬌。

男は俺に黙って近寄ってくる。

俺はへらへらと笑って なるべくイッちゃった人を装う。

なかなか馬鹿っぽいから嫌なんだけどさ。

「此処から出たいから銃ちょーだい」

ぴくりと看守の表情が動いた、気がした。

馬鹿じゃねぇのと、向かいの牢の麻薬売買で捕まった二十前後の男が笑う。

看守に話しかける奴は意外と多い。みんな暇なんだ。

「....馬鹿言うな」

はあ、と溜め息を吐いて看守は少し俺を睨む。が、その場からは動かない。

俺の全財産やるからよ、と口だけ動かす。

首を縦とも横とも取れるように振って、その看守はコツコツと軽快な足音をたてて俺のそばから離れていった。

数メートル行ったところで看守は再び呼び止められて話し相手になってくれよなんてことを言われてた。

何処にでも反逆者はいるってことだ。


此処から出たいから銃をくれ。


まあ、要するに隠語だ。誰が始めたのかは知らんが。

そんな馬鹿な願い叶うわけないと分かっているから、誰も言わない(でもたまにいるらしい)

その後に金額(それこそ億とか兆とか)を口を動かすとか指でとか示す。

職業ってのは幅広いモンだ。

誰が始めたのかは知らねぇけど、逃がし屋なんてのも当然ある。

逃げて何をする気なんだと言われるととても答えに詰まるけど、

とりあえずもう一度あいつに会わなければいけない。気がする。

逃がした後、一時監獄はとても慌しくなるが

本当に見つかった場合でも、今の処より厳重な監獄に移動させられるから

看守は見つからなかった場合も違う監獄へ移ったと言えばいい。

何処の監獄にも反逆者はいる。この世は反逆者だらけだ。

だからこそ大逆転なんかもあって面白いんだけど。

疲れている看守の背中に宜しくの意を込めて小さく手を振って、暫く寝ることにした。

太陽の光は拝めないし、女なんて一人もいないけど

何もしないでごろごろしているだけでソコソコの飯が出てくるんだから、

監獄ってホームレスには持って来いな場所だと思う。

確か出るときには就職の手配なんかもしてくれるんじゃなかったっけか。

俺の場合処刑されるのを待つだけだから、全然いい場所には思えないけどな。










なんだかんだ手続きはやたらとある。らしい。

面倒くさいが仕方がない。背に腹は変えられないだろう。

しかし待つのは脱獄までの時間だけで、脱出してからはすぐだ。


「どーもね」

「仕事だからな」

やたらキッチリとスーツを着込んだ若い男は無愛想に答える。今時の闇の世界は年齢層が広い。

俺が捕まる前に着ていた服は戻ってこないが、それは仕方ないか。潔く諦めよう。

かと言ってこの明らかな囚人服もなんとかしたい。

「で、金よこせよ」

「..いきなり其れは無いんじゃね?」

「全財産つったっけ?さぞかし沢山くれるんだろうなぁ Mr.KK?」

にやにやと笑いながら早速本質の目的である其れの要求をしてくる。所詮ビジネスか。当たり前だけど。

それにしてもやはり俺の名はかなり大きく広がっているらしい。

どっち道そろそろこの職業は年貢の納め時だったってことか。

あまり有名になると逆に動き辛いんだ。

全財産は別に惜しくない。殺しは生きていくためのことであって億万長者になるためじゃない。

例え殺しで億万長者になれても堂々と通りを歩くのは不可能だろ。

「それよりさ、とりあえずこの服。なんとかなんねぇの?」

「テメーの服まで面倒見れるか。

 まあ...しょうがねぇな。お得意様だからサービスしてやろう」

俺を此処まで乗せてきた真っ黒な車からスーツケースを取り出して俺に投げる。

なんだよ最初から準備してたんじゃねぇか。

「ポケットに煙草とライターも入ってる。

 アンタ、この世界から足を洗う気なんだろ?金はお前の家から勝手に持ってくよ」

素っ気無くそう言うとその男はさっさと車に乗り、

元来た道を戻っていった。すんげぇスピードで。

足洗うのは確かだけど、一文無しでこのご時世どうやって生きてくんだ。

今まで作ってきた名声(しかし裏世界のみ)はこんな簡単に壊れてしまうモンなのか。

何年も何年もかけて作ってきたものだ。

しかし失うのはこうも容易い。

なんだか不思議な感じだ。


まるで死ぬときと同じような、感覚。

今まで積み上げたものが一瞬で崩れ去る

蓄積した 生 を一瞬で断ち切る、その行為と










ボタンを押すと同時に 小気味いい音が響いた。

これが本当に最後なんだろうなぁ、なんてぼんやりと頭の隅で考える。

意外と実感なんて湧かないな。

人を殺しながらも、『人を殺している』という実感が湧かなかったんだから仕方がないかな。

俺にとってその行為は蟻を踏み潰すのと同じことだった気がする。

歩けば蟻は踏んでしまう、生きれば人を殺してしまう。

簡単な話だ。飽くまで俺にとって、は。


パタパタと足音が聞こえて玄関に人が降り立つ音がする。

ああ来た。どうしよう何を言おう。どんな顔をしよう。

ドアノブに手を掛けられる音。

きっと考えるだけ無駄だ。きっと俺はまた、

「..............」

「よぉ」

呆けたような顔のお前に、やっぱり俺は何時ものように素っ気なく言う。

お前は次に何を言う。どんな顔をする。

とりあえず、この感動的であろう再会を喜ばないであろうことだけは確かだ。

「..........どうして」

ホラ来た。

「どうして、ってもなぁ」

何に対しての『どうして』なのかが分からないし。

俺が何を言ったところでお前が納得するとはとても思えないし。

納得して欲しいなんて思ってない。

...少し嘘か。

「会いに来てやったんだぜ?喜べよ」

「馬鹿!」

いきなりソレは無いんじゃねぇの?

馬鹿って、イヤまあ確かに馬鹿かもしれないけど。

「ちゃんと償ってきて、って言ったでしょ!」

償ってきて、戻ってくる前提か。

怒っているのかコレは。そりゃあそうだろうな。

それにしても、そんなこと言われただろうか。

ああ、そういえばこの前面会した時、何か言っていたかもしれない。

内容までは覚えてない。呆けてるのは俺の方か。

「償って、どうすんの?」

「そしたら............待ってるから」

「待ってる?」

「アンタが出てくるの」

俯いて、お前は言う。

なんだか最近お前の俯いた顔しか見てないかもしれない。

気持ちは有り難いが、無理だ。

普通に考えて分かるだろう。俺の処罰が。

それより俺は、

もっと怒られるんじゃないかと思ってた。

でももしかすると、頭ごなしに怒ってくれた方が楽だったかな。

俺もお前を恨めたし。

「....................」

可愛いこと言ってくれるじゃねぇか。

こういう時、ほんの一瞬だけ、俺は俺の汚れた手を恨む。憎む。

どうして血だらけなんだろう、って。 でも俺自身が染めたんだ。

「.....お前、怒ってる?」

「怒ってる。

 どうして殺し屋なんてしたの。どうして人を殺すの。

 どうして今まで止めなかったの。キリがないけど、すっごく悩んだし、許せない」

お前の目が少し揺れる。

やっぱりお前、俺と付き合うのは間違いだったんだな。

俺はもう、お前を悲しませることしかできないだろう。できないんだ。

どうすれば罪を償えるんだろう。


ああ、そうか。きっと手遅れ。

もう何でも償えないくらいの大きさなんだ。俺の罪は。

罪。そもそも俺の罪ってなんだ。

人を殺したこと? それも沢山。

だけど西新宿でよろしくしてくれたマフィアぶってるおっさんは

俺以上に沢山殺しを働いてきたのに、オンナ囲んで遊んでるぜ?

やっぱり分かんねぇ。

ああ思い出した。

そうだ。俺は、『運が悪かったんだ』。

きっと今年の俺の運勢は大凶だろう。残念。

なら恨むのはカミサマにか。

「お前はまだ、俺のこと好き?」

「....................」

答えない。

躊躇っているように見える。しかし答えは決まっているように見える。

別に言わなくていいんだ。

別に嫌いだっていいんだ。

なんだっていい。お前の感情は 俺にはどうすることもできないし。

「待たなくていい」

「待つよ」

「忘れろ」

「............待つの」

悲劇のヒロイン気取りか。

いや悪気はないんだろう。何時もそうだ。

少しは俺のことも考えてくれ。

きっと言えば同じことを言い返されるのだろうが。

「名前、嘘でしょ」

「なにが?」

「ずっと私に呼ばせてて、アンタが名乗ってた名前」

そういえば新聞には違う名前が載ってたかもしれない。

裏の世界に住むと名前の管理が面倒だ。

「本名だけど」

「うそ」

「あっちが偽名。お前が知ってる名前が、本物」

そういえば本名って全然使ってなかったかもしれない。お前とだけだ。

なのにとても沢山使っていた気がする。

..........気のせいか。

「..良かった」

「名前?」

「うん」

よく分からないが、きっと女にとってクリスマスや誕生日が大切なことなのと同じなんだろう。

女にとって其れらのものはとても大切な 特別な意味を帯びているんだ。

やっぱりよく分からないが。

「なあ、待たなくていいからさ....」

お前は何も答えない。

そろそろ行かないと。逃がし屋は敷地外に出してからの面倒は見てくれない。

このまま再び捕まったりなんかしたら、かなり間抜けだ。

「忘れないでくれよ」

また俺はなんてことを言い出すんだろう。笑っちまう。

お前は何も答えない。

これが最後だ。やはり実感はない。

「じゃあな」

最後に一度くらい顔を上げてくれよ。

口に出しては死んでも言わない。

お前を連れて一緒に逃げる、なんてのも考えたが、

生憎俺はリアリストだ。夢ばかり見てなんかいられない。

それ以前に先ずお前が許さないだろう。お前は正義感が強くて優しいからな。

「........元気でね」

踵を返して歩き始めた俺の背中に、お前の声が飛んでくる。


今この瞬間が永遠であればいいのに。

感じるだけでなく、実際に。

黙ってこのまま去ろうとも思ったが、やはりどうしても名残惜しい。

立ち止まらず振り返らず去るのも格好いいと思うけれど

お前に格好いい思い出を残すよりは俺が少しでも良い思い出を残したい。

「あの、さ」

格好悪くて、別にいいんだ 格好なんか良くなくて。

格好いい男がお望みなら、お前だって俺なんかと付き合わないだろう。


「もう一回だけ、名前呼んでくれよ」


俺の名前を呼べるのは、唯一お前だけだから。

俺がお前だけに許したこと。


そんなものを愛の証にするなんて どうかしてると思うけど、

他に残してやれることなんて何もないから。

形じゃ何時か、朽ちてしまうし。


あんまり残して重荷になるのも嫌だしな。










結局なんだかんだ言っても、少しは格好つけてたと思う。

本当に素だったら、一緒に逃げようとも縋っただろうし、死にたくないとも泣いたかもしれない。

流石に其れは格好悪すぎる から、自粛。

かと言って折角逃げたのにまた檻の中へ入るのも なんだかなぁ。

きっとあいつは俺がまた牢獄へと戻ると踏んでいたのか知らないが(俺も一応はそういうつもりだった)、

警察のところに行く気は無くなっていた。

電気椅子ってのは実に楽に死ぬことができる装置らしい。

だとしてもそんなので死ぬのはごめんだ。

まず死ぬ瞬間を見られているという辺りでもう勘弁して欲しい。一人で静かに死にたい。


ふらふらと彷徨って、いつのまにか故郷まで帰ってきていた。

電車なんかにも乗ったけど、都会の人間は他人のことなんて興味がないし、

田舎の人はニュース自体にそんなに興味がないから、誰にも俺が大量殺人犯だなんてバレなかった。

其処まで無頓着なのもどうかと思う。でも犯罪者が隠れるには是非お勧めしたい場所だ。

なんて、この先のことを考えても俺には関係の無い話になってしまうか。


幼いころ何度も見た景色だ。

あの頃は俺も普通の人間だったし 純粋だったなぁ、なんて。

色々な物が小さく見える。

小さい頃こんな夜中に出歩いたことがなかったから、夜のこの町を見るのは初めてだったせもあるだろうけど

というより、『こんなものだったかな』って。  美化された思い出ばかり目蓋の裏で見ていたから。


水の匂いがした。

水道水なんかの鉄くさいヤツじゃない。もっとちゃんと、自然の。

そういえば、向こうによく遊んだ丘があったかな。

行く当てなんて無い。

家に寄る気も.........無い、かな。

今更顔を出したって、どうなるわけでも無いだろうし。

それに、きっと両親は俺のことなんて知らないだろうが、俺が心苦しい。

記憶を辿り、丘へと歩く。

春になると日差しで湖が輝いて、丘を黄色に染めるたんぽぽが一様に揺れる。

あれは とてもきれいだったなぁ。

いつだって、小さな頃はうきうきしながらこの道を歩いたものだ。

景色が平面で淡々としたものにしか見えなくなったのはいつからだろう。

視界が開けた。

記憶の中の場所と、そう変わっていなかった。

僅かにかけた月が空に浮かぶ。空は微かに白み始めている。

恐らくもうじき陽が昇るだろう。

その時この湖は、陽の光を浴びてきらきらと光るんだろうな。俺のいつかの記憶のように。


死ぬ方法なんざ腐るほどある。

死ぬってどのくらい苦しいものなんだろうな。

首吊り台までの13階段。

残念ながら首吊り台の向こうに未来なるものは見えない。


きっと最初で最後。目を閉じてみる。

ふわりと吹いた風が俺の髪を揺らした。ゆっくり深呼吸をする。

息を大きく吸ったときにたんぽぽの匂いがした気がしたけど、目を開けてもそんなものはなかった。

そりゃあ、今は冬だしな。幻嗅、とでも言うべきか。

13階段を一歩一歩踏みしめる。..気分だけ。

再度目を閉じる。一面のたんぽぽ畑の中に、お前が立って、笑ってる。

......おかしいな。お前が此処にいたことは、少なくとも俺の記憶の中では無い筈だが。

最期の一段。目を開けた瞬間、湖の向こうの山から太陽が覗いた。

湖が光る。きらきらと光る。

記憶の中と変わらない。きれいだなぁ。



もう二度と出会えないであろう其れらに、俺は一度だけ大きく手を振った。












恋する51のお題 35:愛情表現

(06.01/22)