数 百 年 の 孤 独


「閻魔様」
 そう媚びるように呼ぶのが嫌いだった。私をただの阿呆なオッサンと見なしてる(まあ事実そうなのかもしれないけどさあ)。しかしそんな女とも今日でお別れ、もう二度と会うこともない。あーネチョネチョした。ちがう、清々した。そんな馬鹿女を支配するには、なんと言っても恐怖がうってつけ。楽しいけれど苛々する恐怖政治は今日でおわり、なんて素晴らしい日だろう。
「今まで世話になったね。お疲れさん」ひらひらと手を上げて社交辞令として言えば、さも面白くなさげに女は私を見やる。「ふん、思ってもないこと言うんじゃないわよ。(そりゃあ、社交辞令だからね)次にここに来る子に同情するわ」「それは確かに。でも、おまえほど酷い扱いはしないよ。私、あんたのこと嫌いだったから」す、と目を細めて口端を吊り上げると、苦々しげに女は私を睨みつけた。強がっちゃいるがなきそうだ、ふと一瞬自身の表情を作り忘れて思う。ああ、嫌いならば何故早々にチェンジしなかったのかとでも言いたげだな。
「だってさ、俺、あんたのこと嫌いじゃん。俺がチェンジかけたら、あんたは何も無かったかのようにここを出て普通に幸せに暮らしちゃうでしょ。それってどうかと思うよね。だからさ、あんたの人生ごと潰してやろうと思って」「っじゃあどうして死ぬまで……」「死ぬまで置いておかないのかって? だって、おばさんはいらないじゃん。それにどんどん緩くなっちゃうし、もうあんたも要らないかなって、思って。ああ、それに、ほら」すらりと、もう飽きるほど触った髪に触れると、びくりと肩が跳ねる。それを可笑しく思いながら私は髪を、ひとふさ、手に取る。
「ほら、しらが」
 さらりと私の手の上にある黒い髪の束の中には、もう目の前の人にとっては遥か昔であろう私との出会いのときには見受けられなかった白い線が混入していた。私が最上級の笑みを浮かべてやると、それに反比例してみるみる女の顔は引き攣ってゆく。それを受けて私の顔も、もっともっと笑顔になる。
「いやああああああああああああああ――――」ヒステリックな声をどこか遠くで聞きながら私は楽しくて堪らない。あー面白い。数十年の間におまえの愛した男もおまえを忘れて誰かと結婚しているよ。きっと。


 言っておくけど私は別にサドじゃない。確かにこうやって私の元に派遣されてきた娘(要はただの私のご機嫌取りを兼ねた性欲処理の道具)(家事もしてくれる)で気に入らなかった者を面目上は買い取り、正確には監禁し、犯せるだけ犯した挙句歳を食ったら帰す、といったことは何度もしている。我ながら、よく飽きないものだと思う。だって、嫌がらせと言え、好きでもない人間を何十年も傍に置いておくなんてなかなかに悪趣味だと自覚はある。それで自覚して止めるわけではない。大体本当に大嫌いと言うほどの感情でもなし(確かに気に入ってはいないけれど)、要はストレス解消だ。その歪んだ衝動の根源は明確。それは間違いなく、私が「閻魔大王」として生まれてきたこと。私は特別だ、自惚れでも自意識過剰でもなく。閻魔大王は一人だけ。死ぬことはない。あったとして、それは随分先のこと。
 延々と続く不死の日々を死人の分別のみに費やす私が発狂しないよう、お偉方も必死だ。そんなことをしなくたって、私は別に発狂なんてしないのに。したところで、私に上が恐れるほどの力があるとは思えない。先日鬼男君も「大王にそんな恐ろしい特別な力があるだなんて、買い被り過ぎじゃありませんか。ただのオッサンに足突っ込みかけてる人間と何も変わりませんよ」と言っていた。彼なりに気を使っていたのかもしれない。いやでももしかすると馬鹿にされてるだけかも。でも、アレはアレでなかなかいい奴だ。馬も合わないことはない。すごく合うこともないけど。
 あいつを解放して一日、早くも次の女が来る。少しは間を置いて、ひとりでいる時間もつくってほしい。あながち上は彼女らに私が不穏な動きを見せやしないか監視させているのかもしれない。そんな女に心を許せるほど、私の心は広くない。
「閻魔様」
 頭痛がする。またそうやって、繰り返しなんだ。私は投げやりに笑顔を作って応対する。「はじめまして、よろしくおねがいします」言って、この不条理を飲み込みきれていないように、彼女は曖昧に笑う。


 新しい女が来て一週間経った。まだちゃんと家事をしている。顔と身体は普通。性格も普通。全体的に可もなく不可もなくと言ったところ。
 私の元に来る女は二十代の未婚の鬼たちの中からランダムで選出される。前回の女は、恋人を残してここへ来た。さっさと私に嫌われてチェンジをして貰おう、という魂胆だったようだ。裏目に出ていたけれど。あいつは運が悪かった、丁度当時の秘書とは馬が合わなくてむしゃくしゃしていたし。けど、今は私も安定しているし彼女とはそれなりに上手くやっていけそうだ。勿論、いつものように少ししたら手放すつもりだけど。
「ねえ」
「なんですか?」問えばそれなりの笑顔を以て返してくる。彼女は愛想も普通だ。良くはないが、悪くもない。私だって作り笑いの見分けくらいはできる。どんなに見ても、それは、作ったものではないのだ。もの珍しさと不可解さに、私は何度も彼女の顔を窺い見た。「きみは、好きなひとはいなかったの?」
 薮蛇な質問に彼女は素直に目を丸くした。口を開くも、躊躇うように僅かに瞳が揺れる。躊躇う必要など微塵もないのに。「正直に話していい」「……いました」
 申し訳なさそうに俯いて、罪を打ち明けるが如く言う。なにを申し訳なく思っているのか判らない。「そっか、じゃあ、早く帰りたいよな」「いえ、」「嘘を言わなくてもいい」「だって、わたしはあなたと住むことしか強要されていないじゃないですか。なにも不便じゃないですよ。一緒に住むのが、両親からあなたに変わっただけです」「けど、」こともなさげにそう言われると、なんだか確かにその通りに思えてしまって困る。けれど、それが大きいんじゃないのか。そして、それが嫌なのではないのか。それに、それだけなんかじゃないだろう。夜の、えーと、夜のなんとか、ええいもう! セックスだってあるだろうが! いい年こいてセックスと言うのが恥ずかしい私。ダメ雄。「だって、好きなやつは」「構いません。頭がおかしくなるほど好きだったわけでもないんです」閉口した私を見ると作業に戻り、それから思い出したように次いで口を開く。
「それに、新婚夫婦みたいで楽しいじゃないですか」
 こんな愛もへったくれもない新婚夫婦が居てたまるか、思いはしたけどもう口を開くのも億劫だったから、追求するのはやめた。

 実は結構遊んでたから誰とするのも平気とか? この顔でそれはなんかいやだなあ……そんなもんなのか、今のご時世。それに最初来たとき処女みたいなこと言ってた。演技とも思えない。
 しかし、そう彼女に言われてみればそんな気はしなくもない。新婚夫婦。痒い言葉だ、一生縁がない。じゃあ、どうして今までそんな風には感じられなかったのか。
 愚問か。私が相手を生物として扱わないから、彼女らは私の前で人権(鬼権?)を持たないから、彼女らに鬼としての自由はなく、ここにはすべてを捨ててやってくる。何より最も夫婦に必要なものが欠けている。ならば、それ以外にはどうすれば新婚夫婦っぽいのか。何が足りないのか。
 紙を出して、ずらずらと上げていく。ラヴに始まり、人権、自由、愛称呼び、したときにしがみついた爪の痕、キスマーク、一緒におふろ、裸エプロン、「ご飯にする? お風呂にする? それとも、わ・た・し?」、抱き合って寝る、ずらずらずらずら
 一通り上げ終わって、見直す。我ながら意味のないことをしているとも思ったけれど、今は考えない。「あ」大事なものを忘れていた、これがなくちゃ始まらない。ああ、でもこれ、悪くないかもな。これなら出来そう。「ねえ」「はい」テーブルを拭いていた手を止めて、こちらを振り返る。え、とその形に口を開いて止まる。彼女が小首を傾げて私を見る。
(デートしよう)いい歳してそんなことも言えん。どうする、私。たっぷり三分私が悩んでいるあいだ、彼女は飽くことなく私を見ていた。最近、彼女の優しさは、私への同情なんじゃないかと考え始めている。
「ツチノコを捕りに行こう」
 呆けたような彼女の顔を見て、なかなか苦しかったかと思う。日干ししてあるタモを見て、私を見て、彼女は口を開いた。「ツチノコって、捕れるんですか?」
 食いつきは上々。「もちろんだよ」






(07/06/24)