彼の世界はとてつもなく歪んでいる。

そして私の世界も。


私自身も

彼自身も

あの子も

その人も

みんな全部歪んでる。










探索










特別仲が良いとかそういう訳ではない。

だけど愚かにも私は彼が私と同類だと思っていたし、彼も少なからずそう思っているんだろう。

意図して一緒にいようとしている訳ではないのだが、考えることは同じらしく屡一緒にいることになってしまう。

別に私はそれを嫌だとは思わなかったし、

また馬鹿なことに嬉しいとさえ思っていたから彼が嫌がりさえしなければ一緒にいることにしていた。

なんて馬鹿で愚かなのでしょう、私。

自己嫌悪ならば何度も陥ったけどもう考えないことにした。

私は同志の発見がどうしようもなく嬉しかったらしい。

先日彼にもそのことを伝えたのだが、彼はとても驚いた顔をしてからあまり関心なさそうに へえ、とだけ言った。

元からそんな良い返事を期待していた訳じゃないから良いんだけど。


彼のことはとても好きだ。

だけど私は恋愛だとかその類の物は信じていない。

何故って人の心ほど移ろう物はないし、そんな物を信用できる程私は寛容ではないからだ。


しかし誰かを好きになるという感情は抑制などできないし、

信じてなくても好きになってしまうのはどうしようもないことだ。

其れはもし、私が好きになっているのが彼自身ではなく幻想の中の彼だとしても、だ。

「....僕のこと、好きなんだろ?」

「誰が」

「君が」

読んでいる文庫本からは目を離さずに彼が言う。

私に言わせれば彼がその話を覚えていてくれたことが奇跡だ。

にしても何故急にそんな話をするのだろう。

カーテンすら開いていない教室に外から喧騒が聞こえる。

今日は文化祭で、生徒達はちょっと異常なくらいはしゃいでる。

学校の壁を挟んで異常な迄のテンションの落差。

尤も私達の教室は四階で、店や展示に使われているのは二階迄だからこの階には私達以外誰もいないのだろうが。

「そうだけど、忘れて良いよ」

「何処が好きな訳」

こんの男は....人の言ってること無視しやがって。


何処?

そんなん訊かれても困るし、其れは私があんたに納豆の何処が好きなのかと訊くのと同じじゃないか。

その質問はとてもナンセンスだと、私は思う。

「全部?」

「嘘だね」

「お見通しですかね」

「君がそんな寛容な人間とは思えない」

「そういうこと本人に言っちゃう?」

「言っちゃう」

相変わらず本からは目を離さずに淡々と彼は話す。

そういえば何時も彼は何を読んでいるのだろう。

そんなことすら私は知らない。

私は何も知らない。

何もない。

「好きとかじゃなくてねぇ」

「君がそう言った」

「なくてねぇ、あんたは私の......なんだろ」

「時間の無駄だから話すことを決めてから話してくれ」

「私と話すのは無駄だってか」

「内容による」

「酷い男ね。

 あんたは、私の全部、ですかねぇ」

流石に今のはかなり傷付きましたよ。

でもそんなことは外には出さずに続ける。

何もない。私には本当に呆れるくらい何もない。

そして彼にも何もない。

しかし私には彼は何かしらを持っているように見える。

まあ、誰だって他人は自分と違うと思うのだろうけど。

だとしても私と彼は異常な迄に異質だ。

零足す零は、零になってしまうのでしょうか。

其れが例え人間であっても。

「..全て?

 本気で言ってるなら、君はおかしい」

「知ってる」

ああきっと彼は私に何か言うつもりなんだ。

私の言った其れを解決する為の何かを私を近付けなくて済む答えを。

私は何か言い返せるでしょうか何かできるでしょうか。

目に見えぬ恐怖は目に見える恐怖なんか比じゃない程に強大で頑なだ。

彼の目は明朝体の規則正しく並んだ文字を見つめる。

彼にとって私なんかよりずっと深い意味と意義を持った其れらが彼の目を釘付けにする。狡い。

「悪いけど、僕は僕が嫌いだ」

「..うん」

「だから、僕が好きだと言う君も、嫌いだ」

言い返せる筈もないでしょう

嫌いというのは感情なんだから、私が彼を好きであることと同じようにどうにもできないことだ。

嫌い きらい、そうか。

簡単に言うとハンマーで頭を叩かれたような、ううんそんなのよりずっと大きな衝撃が私を襲う。

そう、うん、でも是も私の想定の範囲内ではある。

私は何時も相手は私のことを嫌いだと想定して付き合っているのだから。

でも、正直少し、忘れてたかもしれない。

何時の間にか、彼には忘れてたのかもしれない。

似ているから彼は他の人とは違うと私を受け入れてくれると奥底で思っていたのかもしれない。

自覚はある非常に馬鹿な話。

少なくとも、彼が彼自身を嫌いだと思っていることは、ずっと気付いていたけれど、


「だから、もう僕の前に現れないでくれ」


あなたは本当に人を遠ざけるのが好きな上に上手ね。

今までだって、そうやってどれ程の人間を遠ざけてきたの。

きっとそう問えば私だけだと言うのだろうけど。

あなたが私と同じなら、あなたは誰より誰かを求めている筈だ。

あなたが私と同じなら、あなたは誰より一人を畏れている筈だ。

私の勘違いだったのだろうか 彼は私と同じだなんて。


やり切れなくなって私は教室を飛び出す。

窓から差し込む夕陽が白い床を反射して酷く眩しい。


走りつつもしっかりと後方確認。

大丈夫彼は私を追って来てない。

追って来てなどくれる筈もない。










「私、ナカジが好きだよ」

「..........だから?」

「この世でねぇ、一番好き」

「......それで?」

「それだけ」

相変わらず僕は彼女とは目すら合わせず話す。

僕が何時も本を読んでいるのは、誰かと話している時も目を合わせなくて済ませる為だ。

君とまともに目が合ってしまったら、この異常なまでに早い僕の動悸に気付かれてしまうかもしれない。

それでも時たま本を読んでいるふりをしながら君の様子を窺ったりする。

僕の一つ前の席に座って僕の方を向いている彼女は頬杖をついて外を見ている。

その席の奴。この前すごい卑猥な話をしてたから座るの止めとけよ。

君が汚れてしまう。










いつかもこんな夕暮れだった。

あの日手を伸ばせばすぐにでも触れられそうな距離にいた彼女は今はいない。さっき離れて行った。

僕はあの日と同じ席にいるけど彼女はいない。

何処に行ったかなんて僕には関係のないことだ。全く、関係ない。










彼女には夕暮れが似合うと思う。

もう文化祭は終わって、生徒も客も学校から帰ったらしく、校内は酷く静かだ。

片付けはきっと明日あたりにするのだろう。

意味の無い達成感を味わった奴らは、今頃カラオケやファーストフード店で打ち上げでもしているのだろうか。


彼女のことだけで何十曲も作れそうだと思うけど、

阿呆みたいな愛の歌は腐る程世に溢れてるから僕が作る必要性はない気がした。

僕は僕にしか歌えない歌を歌ってアイデンティティを確立する。

僕と他人は違う。

だけど、同じだ。

「私はね、何もないの」

「....僕よりはある」

「其れはみんな自分より他人の方が優れてると思うからだよ。

 私には私よりナカジのが沢山持ってるように見える。同じことだよ」

「..............」

「私は私には何もないと思ってるから、別に死んだって構わない。

 それでも私が生きたいと思うのは、多分ナカジがいるから」

今目を上げれば恐らく彼女と目が合うだろう。

今彼女がどんな顔をしているのか気になったけど見るのは止めておこう。

彼女の言葉を嬉しいと思ってしまう僕がいたけれど、そんな僕には気付いていないふりをする。

危険だ。僕が彼女の支えだなんて。

僕に人の生命を握る資格なんてある筈が無いのだから。

僕の心の奥底が揺れる。発せられる危険信号。

危険、危険だ。

こいつは僕を壊す術を知っている。


何もない僕がそれでも生きたいと思うのは彼女がいるから。

なのに僕らは想い合えない。

どうしてだ。


「私に生きる目的をください。でなければ私が死ぬのをとめないで」


ぎょっとして我に返ると目の前の本にその台詞が書いてあった。

どうやら本を読みながら回想していたら記憶と本の内容が混ざってしまったらしい。

読んでいたと言っても文字を目で追っていただけで内容は全く頭に残っていない。

読み直そうと思ってページを戻し始めるが先程の台詞がリピートされる。


彼女は何処に行ったんだ?


彼女は僕が、好き。

僕は彼女の、全て。


僕がいるから彼女は生きたいと思っていて_______


勢いよく僕が立ち上がると椅子が鳴く。

僕だけの教室は飽くまで静かだ。

静寂が煩い。

何時の間にか陽も沈んで薄暗くなっている。

彼女は僕が好き。

僕は彼女が好き。

とても好きだから近付きたくて、大切だから近付けない。

僕が君を愛すのと同じくらい愛してくれればいいのにと、思いながらも頑なに僕は其れを拒む。


僕を近付かせて だけど嫌だと言って

君を好きにならせて だけど君は其れを許さないで、

僕を好きになって、

だけど 嫌いと言って。


言葉にすれば、余りにも其れは安っぽい。

愛してる? そんな言葉言えるか。


僕がいるから彼女は生きたいと言った。嘘かもしれないけど。

じゃあ僕を失ったら?


頭が痛い。

きっと君が逃げたのは屋上だ。鞄は此処にあるから帰ってはいないだろう。


もし君が悲しんでたら

もし君が泣いていたら

もし君が飛び降りたら

考えて僕は死にたくなる。

彼女を悲しませる僕なんて死んだ方がマシだ。

考えないようにしていた思考が動く。


彼女は僕と同じなのだろうか。



嗚呼僕は、また、

こんなことを思ってしまうなんて。










目の前に引いた一本の線。

誰も近付かないでくれ。

遮断された外界との交流。完璧なる僕の鎖国。


だけど待ってる。探してる。

誰かこの線を掻き消してくれ。










階段を駈け登る。

立ち入り禁止の看板を気にしたことは一度もない。

錆び付いた扉を開く。


灰色の床と暗い空が僕を迎える。

喧騒が聞こえる。

奴らの祭はもう終わったのでは無いのか?

僕らとは違う世界の音だ。

僕の世界には僕と君しかいないんだから。

壊れた柵の手前に揃えて置いてある靴 マフラーが風に靡く 帽子がさらわれる

メガネが曇って前が見えない

喧騒が聞こえる。眼下から、

「君が好きだ」きっと今から伝える。



多分あの喧騒はもっと大きくなるだろうね。


他人事のようにふと思って僕は君の元へと飛んだ。





喧騒が、聞こえる。












詩的な30のお題 01.私に生きる目的を下さい。でなければ私が死ぬのを止めないで

(05.10/29)