色鮮やかな世界が僕らを苦しめる。

どうか痛みも苦しみもモノクロに変えてください、神様。


神は僕の願いなんて聞いちゃくれない。

だからほら、今日も空は青く僕の血は赤い。





















「ああ、ナカジ」

「.................君か」

ぎしぎしと軋むドアを閉めて、僕は定位置に腰を落とす。

屋上へのドアを開いた瞬間目の前に広がっていた惨殺現場のような風景に少しぎょっとしたが、

その血溜りの真中に座っていたのが彼女だと分かると、そう驚くことでもなかった。

周りに散乱しているのは彼女が常備している剃刀と注射器とアブナイ薬等々。

相変わらずだ。狂ってるんじゃないのか?

まあ、そういう僕もこんな現場を見て冷静でいられるなんて普通じゃないと思うが。

何にせよ僕は昼食を摂りに人のいない此処へと来ただけだ。別に彼女は僕に関係ない。

呆然と座り込んでいる彼女を一瞥する。

僕が入ってきた時に微妙に反応を示したが、まあ恐らくは僕が声でもかけなければ彼女も僕に興味なんてないだろう。

常人なら食欲も失せるであろう血の海の傍で自分で作ってきた質素な弁当を開く。

自分ので慣れているし、僕は常人じゃないと自負しているから別にそう気にならない。

......まったく気にならない、と言ったら少し嘘だけど。

其れは僕が彼女と(認めたくないが)似た人間だとして、彼女がどうなるのかとても興味があるからだ。

世界からそれぞれ孤立している僕と彼女は、同じ末路を辿るような気がする。

彼女がもし自殺なんてしたら、僕もきっといつか自殺して死ぬんだろうな、なんて

こう言うとまるでロミオとジュリエットで、死んだ恋人の後を追うみたいになってしまうけど。

彼女のことが好きかと問われたら、瞬時に違うと答える。

僕は彼女に興味があるのではなく、彼女の向こうに見た僕自身に興味があるんだ。

そして彼女に、客観的に見た僕を重ねている。

「ナカジぃ」

「........................なに」

驚いた。

まさか彼女が僕に話しかけてくるなんて。

平静を装って応える。眼鏡はかなり便利だ。表情が相手に見えない。

彼女は酷くうつろだ。

そして恐らく僕も、ね。

「あたし、可笑しいと思う?」

顔は僕に向けずに、視線だけ一瞬僕に向けて彼女が問う。

その視線も僕が瞬きしたときにはもう何処か遠くへと戻っていた。

とっても、と答えてやりたかったが、其れって僕はかなり酷い人間になってしまうんじゃないのか?

最初からそうだと分かってはいるけど、あんまり認めたくない。

認めたところで僕が失うものもないけど、腐っても人間として一応。

一通り悩んで、彼女の視線の先を見てみる。

其処には僕が憎むべき青い空があって、白かったり灰色だったりする雲がふわふわと浮いているだけ。

「とっても」

悩んだくせに、結局問われて瞬時にでてきた答えを吐き出した。

嗚呼やっぱり僕はとても酷い人間なんだな。 棒読み。

やっぱりね、とでも言いたげに彼女は暗鬱に笑う。

黙って立ってれば可愛いし普通なのに。

一方僕は............こんな格好してる間は、普通になるのは無理だろ。

「もうひとつ」

「うん」

言って彼女はふらりと立ち上がる。

ふらふらと挙動不審気味にフェンスまで歩くと、身体が落ちかねない勢いでフェンスに寄りかかった。

ギシギシとフェンスが軋む。扉以上に軋む。

軽いとはいえ殆ど人一人分の体重を支える力は錆びたフェンスには無いだろう。

「落ちるよ」

「いいの。死ぬの」

ぎしぎし

こういうことする阿呆がいるから、屋上は立ち入り禁止になるんだな。

別に彼女は望んでこういうことをしているだろうから、まだ良いが。

「............他人に迷惑かけるのはどうかと思うけど」

唯一のおかずである玉子焼きに思い切り箸を突き刺す。

微かな感触と共に箸と同じ大きさの穴が開く。しまった行儀が悪い。

人を刺すのって、こういう感触なのかな。

「ナカジ、今更そういうこと言うんだ」

「人道は弁えてるつもりだ」

「ふーん。所詮“つもり”じゃない」

「五月蠅い」

強制的に話を断ち切り箸を刺したままだった玉子焼きを口の中に放り込む。相変わらず不味い。

恨めしそうに彼女が見ているのが気配で分かる。

僕と話したいとでも本気で思っているのか?

「其れ、美味しそうだね」

「..今から死ぬ人間が食べるのか?」

「いいじゃん」

「止めておいた方がいい。汚いから」

此処から飛び降りれば間違いなく死ぬだろう。

身体は重力に従順に地面へと叩きつけられ、体内の内臓やなんかは飛び出し、

その時に胃の中に食べ物なんかがあると、それも一緒に飛散するだろう。

見るも無残な死体になる。

たった一瞬だ。怖がることなんてない。

それに落ちている途中に失神するかもしれないし、痛みなんて感じない。

其の上今までの人生を振り返られるという、非常に迷惑極まりないオプションまで付いてくる。

とても得な死に方じゃないか。

「そりゃあ..そうかもしれないけど。

 いいよどうせ、其れを人に見られるときにもうあたしはいないんだから」

拗ねたように言う彼女は幼くて、生死に悩んでいる高校生なんかには全然見えない。

やっぱり見た目は普通だ(左腕さえ見なければ)。

呆れたものだ。

第一、他人の前で自殺宣言するなんて止めて欲しいと言っているに等しいじゃないか。

当然僕はそんなに優しい人間じゃないとさっき改めて証明されたし、

此処で止めるのが本当に相手にとって良いことなのだろうかとも思う。

本気で死にたいと願っている人間を止めるのは、なにより可哀想だし、意味の無いことだ。

其処で本気か止めて欲しいと思っているだけかを見極めるのがかなり困難なことなんだけど。

そう、僕はとてもとても酷い人間なんだ。

「死ぬの?」

「うん」

丁度弁当も食べ終わったし と彼女がぎしぎし言わせてるフェンスの方へ行き、頬杖を付いて彼女を観察する。

フェンスを乗り越えようとしているらしいが、フェンスが高くて苦戦しているようだ。

スカートが風でかなり際どいところで揺れてる。

何も考えてない女だな。

「残念だったね」

「ん?なにが......」

あっ、と少し驚嘆の声をあげて彼女の身体が傾いた。

ぎりぎりで足は僅かに地面に付いているものの、このまま傾けば、落ちる

と、いう処で僕は彼女の左手首を掴んだ。

「.................」

驚き、と一言で表現するのもどうかと思うけど、

どうして、と言いたげな顔で彼女は僕を見る。半ば睨む。

どうしてなんて言っても、それは決して怒りとかその類の感情から来るものではなくて、

ただ純粋に何故止めたのかとだけ問いたいという、たいして感情は入っていない表情だ。

「.........なかじ」

「うん」

「ナカジは、意地悪だね」

「知ってる」


死ぬことで楽になれるのなら、

僕は君だけが楽になることなんて絶対に許さない。










まあ、それからが大変だった。

未だ塞がっていない傷のある腕を掴んでしまったが為に血が夥しいほどに出るし

僕は力がないから、彼女を止めたは良いけどちゃんと僕と同じ地面に立たせるのに

それこそ三十分以上かかったと思う。

やっぱり力はあった方が得だ。気に入らない人間を服従させられるのも、要は力だしな。

途中少し痛い痛いと彼女も言っていたが、流れる血に関しては二人ともそんなに考えていなかった。

どうせ生きてれば体内で幾らでも生産されるものだ。

「お疲れ様ですナカジ」

「........................五月蠅い」

多分小学校最後の運動会の時ぶりに急激な運動をした僕の息は、これ以上ない程に上がっている。

僕の方がどうして、だ。

こんなどうでもいい女の為にこんな力を使わせられなきゃいけないなんて。

止めたかったのは事実だが、この女自身の為じゃない。

「.....僕が、もし、君に」

「うん?」

「死ぬな..って、言ったら、君は、どう取る?」

息が上がっているせいで、途切れ途切れになりながら話す。

きょとんとした顔で、彼女はくたくたになっている僕を見る。

一瞬だけ目が合ったけど、即座に僕が逸らしてやった。

「ああ、ナカジってばあたしにズキュンと来ちゃったのねって思う」

「........馬鹿女が..」

訊いた僕が阿呆だった。訊くんじゃなかった。

そんないらん誤解はされたくない。

「..........君が死んだら困る」

「ナカジってばあたしにホの字」

「..本気で言ってるのか?」

いくらなんでも冗談だろう、と思いたい。

彼女なら分かるかとも思ったが買い被り過ぎたか。

溜め息を吐いて、広げたままだった弁当を片付ける。

弁当を包んでいた布にべっとりと彼女の赤黒い液体が付いてしまった。くそ。

「冗談。なんとなくは分かるよ。あたし馬鹿じゃないもん」

へらへらと笑いながら言われても説得力がない。

彼女の中には沢山の人格が隠されている気がする。

僕が誰かを好きになるなんてこと、生涯ありえないと思う。

僕はきっと、自分と自分を重ねた人にしか興味を持てない。

僕がこの世界で好きになるのは音楽だけだ。

好きなものはこの世に何個も必要ない。音楽は僕を裏切らない。

なら好きなものなど其れだけで十分だろう。

「確かにナカジとあたしは似てるよ」

この女、僕が口にしたくないことをサラリと言いやがった。

「でも、やっぱり違うよ」

そんなことは分かってる。

「あたしが自殺するからって、ナカジまで何時か自殺するなんてこと

 有り得ないでしょ?」

知ってる。分かってる。解ってるんだそんなこと。

それでも

僕が屋上のフェンスの向こうに立って

こんな汚い世界から脱出してやると

笑って 嘲笑って、飛び立つのが

見える。


気がする。


「.......そうだね」

僕がこんなくだらない妄想を抱いてるなんて、知られたくない。

例え君にもね。

僕の身体中にも、彼女と同じような傷が無数に存在するけど、其れは彼女とは違うものだ。

彼女と僕に同じところなんてない。似ているだけだ。

1と0.999…

限りなく似ているけど同じではない。多分。恐らく。


「ねえナカジ」

「なんだよ」


「最後に、一回だけ名前呼んでよ」

そうだ、君にも名前があった。

僕は一度たりとも君を名前で呼んだことなどなかったが。

そういえば君は何度も僕の名前を呼んでくれたね。

きっと君はこの世界で一番沢山僕の名前を呼んだと思う。

だとしても、

やはり僕は酷く意地悪な人間だ。

『最後に』、なんてお願いされたら、余計呼んでやる気は失せる。










あの日は金曜日で、週が明けた月曜日。

ふと面倒になってサボりを決定したのだが、どうしても彼女のことが気になって

日も傾きかけているが、今更ながら学校へと足を運んでみた。

まだ幾つか部活をしている人間がいるのだろう。声が聞こえる。

教室は、酷く静かだ。

花瓶には、とても綺麗(だと一般的に思われるであろう)な花が飾ってある。

幾ら僕でも名前くらい分かる花だ。

黄色と白。昔から日本でよく見られる。特に夏が多いのかな。

菊。

菊人形とかあるけど、アレって何処が菊なんだろう。

全然関係ないな。

其れより簡単な割り算だ。

1割る3は、0.333…だ。馬鹿でも分かる。

そして商に割る数をかけると割られる数になる。

小学校なんかでうんざりするほどやらされた確かめ算。

0.333…かける3は、0.999…

おかしい。1と0.999…、は同じなんじゃないか?

彼女と僕も、是等ときっと同じで、


開け放した窓から風が吹いて、君の机の上の花を揺らす。

ゆらゆらと揺れる其れは、茎が花の重さに耐え切れなさそうで

まるで人間の首のようだ。

君は一体どんな風に死んだのかな。

腕を切って?飛び降りて?首を吊って?一酸化炭素を吸って?薬物を大量摂取して?

それとも交通事故で?

そんなのどうでもいい。君が死んだという事実が変わることは無い。


夕暮れはまるであの日の血の色のようだ。

生憎僕は君の分の人生まで背負って生きるなんて格好良いことはできなさそうだよ。

かと言って君に思いを馳せるなんてこともきっとしない。

それはまるで傷跡にそった痛みのように僕の身体中を駆け巡る。

正体不明の感情。なんなんだろう。

血の色のようだ、なんて格好付けたことを言ったって、

あの夕暮れは固まった汚い赤黒い液体とは違ってとても美しいオレンジ色なんだけどね。



色鮮やかな世界は僕を苦しめる。

全てモノクロなら非現実的に受け取れるし、鮮やかには感じない。


尤も僕にとってこの世界はカラフルであっても非現実的にしか受け取れないが。












祝・一周年


詩的な30のお題 04.それはまるで傷跡にそった痛みのように

(05.12/28)