この痛みすら貴女が存在したことの証なら、それは至上の幸福になりうる










夢の後に










唯 その場に座り込む。

しばらく何も口にしていないが、たいしたことはない。

血を全く飲んでいないのは少し問題だが 多少食事を取らなくても体に何等影響はないだろう。

餓死するなんてことは 確実に無い。

いや、しかし今はそうなった方がどれだけ楽だったか。

嬉しかったか。


背中に感じる冷たい石の感触。

どうしてだ。

少し前まではあんなに暖かかったのに。

冷たい感触もその石に彫られた文字も確かに現実。

墓石に彫られた文字を指でなぞる。

数え切れない程何度も呼んだ彼女の名。

この冷たい地面の下に、彼女 が。


「あっれ?まだ生きてたんだ」


聞き飽きた調子の良い声に思わず振り向くと、宙に浮かぶ白い月。

私が眉間に皺を寄せると さもおかしそうに 其れはヒヒッと笑った。

「....何がおかしい」

「らしくもなく落ち込んでるユーリが、ね」

笑いは止めずに姿を現す。

闇に溶けそうな青い髪と それとは対照的に闇に映える白い包帯と紅い目。

手近にある墓石にそいつは座った。

「だってサ、今までだってこういう事は何度もあったでしょ?

 ここまで落ち込んでた事、あったっけ」

「....そうだったか」

昔の事は忘れた、と小さく呟いて再び墓石に背中を預ける。

月が、白々しく墓石を碧く照らす。

碧 彼女の目の色だ。

紺の世界は彼女の髪のいろ。


異常な程に彼女に執着する自分がおかしくて、思わず自嘲気味に笑った。

「あのコの色だねェ。

 世界が」

スマイルがそう言って、ふと笑う。

私と違って、懐かしむように 穏やかにそいつは笑う。

やはりスマイルは私と全く違う。

こいつは、きっともう受け止めているんだ。

羨しいと思う反面、そうはなりたくないと思う。

「ね、ユーリは 泣いた?」

唐突に 真剣な口調になる。

珍しい とスマイルの方を見やると、そいつはぼんやりと月を眺めていた。

まるで月に何かを重ねているかのように。

「..そういえば泣いていないな。一度も。

 悲しむことだけで手一杯だった」

「うん、僕も。

 思い出すのに必死で」

ずっとずっと何時までも覚えていて その存在を心の中に繋ぎ止めて置かなければならない。

妄想の使命感が 胸の中を襲う。

只の思い込みだと分かっていても、無意識の内に何時の間にか記憶の中に彼女を探している。

これはもう 一種の病気かもしれない。

「思い出すのも辛いが、忘れてしまう方が怖い」

静かに静かに呟いても、私達以外の音がない墓場では 煩い程に聞こえる。

夜の墓場に佇む二匹の化物。

私たちにはお似合いのシチュエーション だな。

「なんで人間の寿命は短いんだろ?」

「..逆だな。私達が長すぎるんだ」

二人とも何でも無いかの様に話すが、確実に何処かを痛めている。

何時だって辛い。

罪悪感だけを感じさせるこの身体は。

「どうして?」

「罪を犯したから だろう?」

だからと言って、彼女より先に死ぬのも嫌だった。

とんだ我が儘だ。私は。

「人間のままだったら、幸せだったのかなァ」

「さぁな........」

人間として一生を終わらせることは不可能になった今、

その答えは永遠に分からない。

問うスマイルの横顔は酷く虚ろで、遥か遠くを見つめていた。

「あとどれ位生きるの?」

「然るべき時が来れば死ぬ だろう」

答えなんて、きっと誰も知らない。

数えることすら出来ない程の年月を生きて、数え切れない程の女とも付き合った。

毎回、私は置いていかれる側。

それでも今までは平気だった。

一通り悲しんで泣いて、いい人だったなんて思いを巡らせて、それで終わりだった。


なのにどうして今回は?


「ユーリさ、本気で誰か好きになった事なかったでショ」

「....そうかもな」

あぁだからか。

こんなにも執着するのは。

本当に 異常だ。

こんなにイライラするのは初めてだ。

何に怒りを感じているのかすら分からない。


ふらりと、その場から立ち上がった。

「ユーリ?」

「............寝る」

「またァ?」

呆れた様な口調で言うスマイルを無視してフラフラと歩みを進める。

「ね、今回は何年寝るの?

 五年?それとも十年?」

「.........とりあえず百年は寝るつもりだ」

「正気!?」

「あぁ」

鉄の門を開け、一人で住むには広すぎる城の敷地内に入る。

自分の家に入るかの様に、自然にスマイルも付いてくる。

「いい加減止めなヨ。

 大事な人が死んだら眠る癖」

「別に癖じゃない」

「じゃあ なんで」

「嫌なんだ。イライラする」

「何が!」

「私を置いて行った彼女も、彼女の死を話す人間も、彼女がいない世界を平然と受け止める世界も。

 今回は私自身にもだ。

 彼女を知る人が全て消えるまで眠る」

地下室への階段を降り、暗い通路を進む。

カツカツと、靴底が石の床を叩く音が耳障りに聞こえる。

道のつきあたりの岩を無理矢理動かすと、広い何もない部屋の中央に一つの棺。

「帰れ スマイル」

「えぇー...ユーリが寝てる間って結構暇なんだヨ?」

「知るか」

素っ気なく答え、締め出すように扉を閉めようとする。

「あのコのこと、寝てる内に忘れちゃったらどうするの!」

「忘れないように寝るんだ」

寝ていれば新しい情報は入ってこない。

従って 今までの記憶が薄れることもない。

「そうだな....じゃあ二百年後に」

「...年数二倍になってるけど」

「起こしに来てくれ」

「.........嫌だヨ。

 ユーリ起こしても全然起きないし、凄い寝起き機嫌悪いんだもん」

「問答無用。頼んだ」

有無を言わさず押し通すと、なんだかんだ言ってスマイルの奴も頷く。

「.......おやすみユーリ。

 イイ夢を」

「あぁ」

御互い微かに笑って、別れる。

煩い奴がいなくなって、途端に静かになる世界に少しだけ驚きつつ棺を開ける。

二百年後、この世界はどうなっているのだろう。

ふと起きた後の世界に思いを馳せるが、どうでもいいことは考えては駄目だと振り払った。

起きたときは、彼女とのことも全て夢だったように思ってしまうのだろうか。


眠りに時間を費やすことで、生きていると分かる時間を少しでも減らす。

少しでも死までの時間を短くする。

我ながら、頭の悪いことをすると思う。

だが、人が死んだ後はこうするしか思い付かない。

結局は 只の逃げだ。

自覚はある。


一度目を閉じ、彼女の姿を思い描く。

しっかりとその姿を瞼の裏に焼き付けて、



私は永すぎる眠りについた。












詩的な30のお題 19、この痛みすら貴方が存在したことの証なら、それは至上の幸福になりうる

(05.01/09)