珍しく若い上にすごく格好いい男が客で、あたしはひどく上機嫌だった。もう、毎晩毎晩萎びたおっさんばかりで散々! ってところだったから癒しも癒し。こっちがお金払ったっていいくらい。
 なのにホテルの部屋に入るなり、束になった書類を取り出して色気のない質問ばっか。萎えた。元々頭はよろしくないの。彼の質問もいまいちよくわからない。
「……ええと、要するに?」
「おまえの店のバックにいるファミリーは人身売買に大きく荷担してる。多少の人身売買なんて裏じゃ腐るほどあるから今までは見逃していたが最近そうも言っていられない規模になってきた。現代にもなってそう人身売買を横行させるわけにもいかねえ。今後の処分を検討するためにファミリーの内情を調べている。調査の結果がなんであれ、店は潰されるだろうな」
「わーすごーい」
「理解できていないことは十分にわかった。事情を知る必要もねえ。てめえは黙って俺の質問に答えてればいいんだよ、カスが」
「ちょっとおにーさん、客とはいえここはそういうプレイの店じゃないんだから女の子にカスはないですよ。格好よくたって言っていいことと悪いことがあります」
「黙れ」
 ぎろりと絶対零度の視線で睨まれて、さすがのあたしも肩を竦める。なにこのおにーさん、少なくともカタギじゃないよね。当り前か、カタギの人は人身売買とか店を潰すとか言わないし、この顔の傷痕はなんだかとってもやばい雰囲気がありますものね。
 それにしても勿体ないなあ、びっしり着込んだスーツがよく似合う。顔の傷痕も人に因ってはマイナスポイントかもしれないが、あたし的には全然オーケーだ。危険な男もどんと来い。自慢じゃないが守備範囲なら広いほうだ。
「おまえは売られてここにいるそうだが、」
「ねえじゃああたしがおにーさんの質問にひとつ答えたら、おにーさんもあたしの質問にひとつ答えるっていうのはどう?」
「うぜえ誰が答えるか。おまえいくら馬鹿とはいえ今の話で俺が裏の人間だってわかっただろ。俺が答えられるのは明日のミラノの天気くらいだ」
「じゃあ明日のジャッポーネのお天気は?」
「そんな関係ない場所の天気まで把握してねえよ。まだ俺の質問にも答えてねえだろうが」
「一度行ってみたいのですよ。ブシドー、ゲイシャ、オダイカン。格好よくないですか」
「いつの時代の日本だ。やめとけ、行ったら失望するぞ」
「そうですか?」
「質問に答えろ」
「ええそうです、金持ちから見たら嘲笑が漏れるくらいのはした金で売られました。今となってはあたしでも笑えるような金額です。あは」
 右手が光っていますよおにーさん。知ってるわそれ見たことある。地球のみんなオラに力を、みたいなやつでしょ。でも残念、あたし人に分けてあげられるほどの元気は持っていないのです。自分だけで一杯一杯なんです。
「おにーさん」
「ああ」
「この店は、潰れちゃうんですよね」
「そうなるな」
「そしたら、あたしはどうすればいいんでしょうか」
「路頭に迷うな」
「困ります」
「家に帰ればいい」
「細かい場所は覚えてないし、帰ってもあまり歓迎されない気がします」
「そうかもな」
「……」
 どうしよう、困ったものだ。すっかりここでの生活が染み付いてしまった。毎晩男の相手をして、それなりの食事を食べそれなりの寝床で眠る。餓える苦しみに比べればずっとマシだ。世間には熟女というジャンルもあるし、当分仕事には困らないだろう。困るまえには死ねるはずだ。
「嬉しくないのか」
「……だって、そんないまさら。ぜんぜん嬉しくない。いまさらですよ。もう、一般人のように生きるなんて無理です。無一文で路頭に迷って、死ぬかまた店を探すしかないじゃないですか。この辺りの娼館はどこも飽和状態なんですよ。娼婦だって今のご時世就職難なんです」
「てめえの訴えは正当なのかもしれないが、こっちも仕事だ」
「あたしが路頭に迷ったら引き取ってくれますか」
「断る」
「ですよねー」
「わかってるなら訊くな」
「あっ! でもあのあたし、もう幼女と言っても過言でない頃からこの店にいて、長いし、多分その裏のファミリーさんとやらの割合えらい方としたこともあるし、けっこう色々詳しいです。人身売買の場に雑用として立ち会ったこともあります。知ってることはなんでも話します。協力します」
「なんだ急に。当然だ、最初からそうしろ」
 あたしの突然の態度の変化にいささか面食らいながらも、厚い紙の束を何枚か捲った。
 続いて雨のように浴びせられる質問たち。え、ま、ちょ、ちょっとまって。まってまって。まずメモらせて。あ、でもあたし字書けない。
 機関銃みたいな言葉が止んで、真っ赤な目がじとあたしを見た。ちょっとときめく。
「答えないのか」
「……アイキャンノットスピークイタリアン……」げんこつされた。

 ふと部屋の時計を見て、書類をしまうとおにーさんは立ち上がった。思わずその長い足にしがみ付く。
「ま、まっておにーさん!」
「まだなにか用か。役立たずのカスが」
「ちょ、またカスって! 今のはおにーさんにも問題あるでしょ娼婦にそんな高いスキル求めないでくださいよ! あたし学ないんですから」
「……」
「読み書きもできませんし」
「……チッ」
「いま舌打ちしましたね、あまりの役立たずさに」
「いいから手を離せ。もう時間だ。離さねえなら……」
「離します離します!」
「そう言って大事なことはまったく話さなかったがな」
 盛大に溜息を吐かれる。しがみ付いていた腕を離した。あたしはとんだ役立たずのようだ。下の世話しか満足にできない。そういうふうに教育されたんだから仕方がないじゃないか。
「チャンスをください」
「もうねえよ。ここで消されてえのか」
「そんなことしたら面倒になるってわかってますよね。だからあなたはあたしを殺さないはずです、今は」
「面倒なら殺しちゃいけないという法もねえ。腹が立てば面倒になろうがかっ消す」
「(暴君がいる!)あ、あたしは脳はありませんが、あたしの情報はきっと役に立ちますよ」
「ねえ頭でも少しは回るんだな」
「えへ、お褒めに預かり光栄です」
「褒めてねえ」
 小さく笑うと眉間に深く皺を刻んで苦々しげな顔をする。仏頂面もいいけれど、こうした表情がこのひとにはよく似合う。些細な発見が嬉しくてあたしが笑いを深めるとそれに比例して眉間の皺も深くなる。おもしろい。
「明日は」
「無理ではねえ」
「じゃあ、明日の今日と同じ時間にここで。予約はあたしがしておきます」
「ちゃんと話さなかったり役に立たなかったりしたときは、骨も残さず消えてもらう」
「(こ、こわい……)それとひとつ」
 次の予定があるのだろうか。部屋に入るとき手に持っていたコートに腕を通しながら口を開く。
「なんだ」
「明日時間が余ってセックスして、よかったら、あたしを引き取ること、ちょっと前向きに考えてください」
 一瞬呆気に取られた顔をして、ぶはっ、と思い切り吹き出した。ひどい、テクには定評があるしわりと自信もあるのだ、これでも。笑いの収まらない顔で、考えておくと答えられた。絶対満足させてやる。
 どうやらだいぶこどもに見られているようだ。たしかに、大人ではないけれど。でもおにーさんだって、けっこうこどもっぽいところがあるじゃないか。大人ではないよ。
「そうだ、おにーさん。なまえ。名前はなんですか」
 完全に帰る準備が整いまさに扉を開けんとしたとき、ふと思い出して彼に訊ねた。振り返った顔が知る必要もないだろう、と彼の心情をありのままに語っていた。
 そのまま出て行くかと思いきや薄く笑ってすこし気障っぽくあたしに言うと、別れの挨拶もなしに扉を開けて出て行った。扉ごしの廊下の足音が徐々に遠のいていく。明日、彼を満足させたらあたしは彼を名前で呼ぶことができるようになる。次の客のことなんてもう考えられなかった。あの赤色がはやく欲しい。




その質問には明日答えよう
企画参加(タイトル同題)「ペテン師の結末(携帯向)」
(08/03/10)