涼しげな顔をして、その内側は計り知れない。数多くの人間の首にピアノ線をかけ必要次第いつでもその頭を転がす心算だ。その入念さと周到さは一線を画して畏怖すべき域にも達しているので、仕事についてはあまり聞かないことにしている。とばっちりは受けたくないし恨みも買いたくない。かと思えばなにも考えていないようにも見える。そこまで狙って演じているのか、なにも考えていないのになにか腹の底で企んでいるように見えるのか、はたまたなにも考えていなかったり企んでいたりするのか、なににせよ真理は定かでない。わたしの思うところだと、恐らく最後であろう。どれであったところでわたしには大差ない。
 評価と言えば真っ二つで、質の悪いジョークみたいな見た目や性格さえ気に入る人は気に入るし、嫌がる人は仕事の出来も差し置いてなにもかも嫌悪する。そして後者のほうが圧倒的に多い。わたしはというと高笑いをする彼はきらいだ。率直に簡潔に正しく述べると彼は悪趣味な変態である。あの男は生涯ヒールにしかなれない。救うよりも潰すほうが容姿にも性格にも似合っているし、実際そうしかしない。

 約束のドタキャンはよくあることなのでもうあまり気にしていない。仕事の忙しいのは事実だ。本当にすべて仕事のせいなのかは知らないけれど。他に女がいるのだとしたらそうであっても構わない。それは執着心からでなくその逆だ。なんであれ、どうでもいい女とわざわざ会う約束を取り付けるような男でないことは確かだからそれでいい。
 連絡して日取りを決めて、じゃあそのときに会えたらいいというくらいに思う。執着心に欠けるのは単に愛が薄いせいなのだろうけど、彼はわたしのそうしたところは好きだと言った。このようにわたしの部分部分についてのコメントは時折なにという感慨も温度もなく洩らすけれど、わたし全体についてのコメントを頂いたことはない。嘘でない愛の言葉を使ったことはないし今後も言うつもりはないのだと言う。わたし自身、嘘偽りなく真に彼を愛していると言えるのかというとわからないのでお互い様だ。だとしても本当になにも思っていないなら三年も続くはずがなく、あんな男とこうも長く付き合えているというのは奇妙なことだ。けれどそうなってしまったのはそうなってしまったなりに、彼とは一緒にいて楽なことには楽だった。まわりくどい言い方になってしまうのは、素直に一緒にいてよかっただとか、一緒にいて幸せだとか思ったかと問われると、苦々しい顔をしたくて堪らなくなってしまうからだろう。ただ強いてどちらか選ばなければならないならば、やはり肯定するしかないのだろう。依然なにを考えているのかはまったくわからないし、内面を知る毎にどうしようもない人間だという認識は深まるけれど、残念なことに今更そうしたことで嫌いになるようなこともないのだった。
 一段落がつけば来られると言うから動かず街灯の下で小説を読んで待った。半分弱読んでいたそれを読み終えてしまって、ぱらぱらと適当なページを開いては斜めに字を追っていく。文字は脳に染み込まず形だけを拾っていきながら、なんとなく光秀とのいまいちぱっとしない数々の思い出を反芻していた。コツリと硬い足音に顔を上げると前の通りに止まったタクシーが発進するところで、彼はまっすぐわたしに向かって歩いてきていた。いつも通りの速さで。
「店にでも入っていたらどうです」
「すごく待った」
「でしょうねえ」腕時計を見て平素の微笑を深める。微笑と言うよりか薄笑いだ。時計の文字盤を内側に回しているのが女々しくてきしょくがわるい。光秀は常に嫌悪感と言うほどではない、似合うと言えば似合うのだけれど奇妙なずれや違和を感じさせるなにかを纏っている。それが前も言った評判の二極化を生んでいるのだと思う。言うまでもなく一番の原因は髪の長さと色だろう。灰のスーツと長く白い髪とのコントラストは異様だ。ただでさえひょろ長い印象があるのにスーツのストライプがそれに拍車をかける。更に青白く血色の悪い肌と唇ときたら、夜半に佇んでいれば幽霊と見紛われても文句は言えまい。皿でも数え始めそうな風情だ。この場合数えるのはUSBメモリであったりするほうが面白い。
 デートと言っても食事しかしたことがない。たまにホテルに行くことはあるけれど、一緒に買い物ということはないし、映画も観ない。まして遊園地や動物園なんて考えられない。思わずジェットコースターに乗る光秀を想像してしまった。髪が取り返しのつかないことになる。
「なぜ笑っているんです」
「みっつんと会えて嬉しくて」
 返事がないのは思ってもないことだとわかっているからだろう。これだから聡い男はあまり好きじゃない。
 デートの場所は交代制だ。でも今日は、前回と同じちょっとはお洒落だけれど安い居酒屋。わたしの番のとき、三回に一度はここになる。二年くらい前に三度連続でここに来たら遠まわしに責められたので、以来最低でも一回は違う場所を挟むようにしている。わかりやすく単純なローテーションが崩されたのは、光秀が案内するのは小綺麗なレストランばかりだからだ。高級レストランに湿っぽい話は似合わない。本当は居酒屋にしても個室を取るべきなのかもしれないけれど、少しくらいうるさいほうがいい。今日の沈黙はきっと圧迫感がある。いつも通りカウンターに座っていつも通りのものを頼む。注文したものはすぐに出てきた。週末なので客が多い。
「貴女には、わからないでしょう」
「みっつんは意外と理性的だよね」
 光秀の烏龍茶の氷がからんと鳴った。光秀はいつもわたしの酒を飲む横でアイスコーヒーだの烏龍茶だのを頼む上に、こうしたところでソフトドリンクを頼むのは不経済なことだなどと言う存外けちくさいアルマーニである。わからなくもないけど少なくともわたしの数倍は給料をもらっているはずだ。日頃みっつんと呼んでもなにも反応しないくせにケチマーニと呼んだら髪をひっぱられた。そのことを思い出してグラスに唇をつけながらけちまーに、と口の中でつぶやいたら覚えていたのか僅かに視線が動いた。それ以上のことはない。
 怪談噺でもするような抑揚で囁くようにゆっくり話す光秀の声はいっちゃん聞き取りにくいので、カウンターに並んだわたしは顔を寄せることになる。そうしてもまったく甘い雰囲気にはならないところがものすごくわたしたちらしい。
「でも夢があるのはいいことなんじゃないかなあ」
「夢などと、そう可愛らしいものではありません」
「そう」
「手段は選ばないと、思っているでしょう」
「選ぶの?」
「選ばない、つもりです」
「選ぶことも?」
「場合によっては」
 考えているようだった。決めかねているのだ、光秀が。なんでと訊ねようとして、もしかしたら、もしかしなくても、この男も人間なのかもしれない。
 わたしは味のよくわからないお酒を飲みながらぐるぐると考えた。ぐるぐる。
 その夜帰宅してから数年ぶりにわたしはトイレで吐いた。


 彼の会社の社長が失脚したと耳にしたのはそれから四日後のことだった。
 翌日、日付の変わる頃に残業から生還して玄関を開けると1Kの床は一面深紅の薔薇で埋まっていた。押し寄せる強烈な香りにぐらりとする。部屋の灯りはついていたけれど人の気配はない。見慣れた部屋の異様な光景に少しばかりいらりとして、文句を言ってやろうと鞄から携帯を取り出して発信する。けれど電波が海に乗る一瞬の内に結果はわかっていた。おかけになった番号は、現在使われておりません。携帯を手から離して薔薇をがさりと腕の中にかき集める。浴槽へぶちこもうと風呂場の扉を開けたがタイルの上も浴槽の中も既にすべて薔薇で満たされている。呆れもなにも通り越して力が抜けて笑ってしまう。意味がわからない。がさがさと足元の薔薇を分け入って部屋の一番奥の窓を開けると腕の力を抜いた。風の強い夜だったので落ちながらも落ちてからもひゅうひゅうと飛んでいく。そしてあの男がわざわざ約束を取り付けて会っていたのはきっとわたしだけだと悟る。根拠はなにもないけれどきっとそうだっただろうと思う。そう考えるとちょっと嬉しくて、嬉しい自分が悔しくてわたしは泣いた。はらはら泣いた。何度も何度も薔薇を腕の中にかき集めては窓から放っていく。あの男のことだから棘も残っているだろうと思っていたのに何度乱暴に掬っても棘は一度として刺さらなかった。明日下に薔薇の山ができて大家さんに怒られるかもしれない。そしたら浴槽に詰まった薔薇で作ったジャムをお詫びに謝ろう。以降光秀がどうなったのかをわたしは知らない。





薔薇と時間

(10/06/15)