(※本題であるはずの段落は存在しません)



 後日。
 一度だけ、三成は彼女へ話しかけた。特に話すことがあったわけではなく、なじりたかったわけでもなければなぜあんなことをと問い詰めたかったわけでもない。放課後HRの終わった教室で「おい」と声をかけた彼女は振り返らなかった。それに苛立ってもう一度おいと声を飛ばすと共にぐいと肩を掴み振り向かせる。こちらを向いた瞬間はわたしですかと呆けていた顔が見る間に血の気を失った。
「……あ、あの、……なんですか」
 なにがなんですかかと三成の頭に血がのぼる。ぐいと胸倉を掴んで、殴りかけたところをぎりぎりでおさえた。怒鳴りつけようともしたが、我慢よりもそもそも出るべき言葉が見つからない。顔は伏せられ目は泳ぎ、がたがたと震えているのが掴む手から伝わってきた。なんと言ったものかと宙を見て、それから彼女へ視線を戻すと先ほど青かった顔はいつのまにか真っ赤に染まり、レンズの奥の瞳には今にも泣き出しそうなほど涙が湛えられている。
 それを見て、すっかり話す気持ちが失せてしまった。そもそもなにを話そうと言うのだ。ばからしい。手を離すと女はばたばたと己の荷物をひっ掴み、逃げるように教室を走り出て行った。
 以降卒業まで女と話すことは一度としてなかった。
 それ以降の三成の女性関係はというと、その半年後に初めての彼女がなんとなくできたが、いざことへ至ろうとすると何度でも女の狂ったような憐れな笑みが脳裏に浮かんで集中できず、そこまで馬が合わなかったこともあって関係は終わった。さしたる思い入れもなかったのでそう痛くもない。それから三年後に、今度は気が合い自然とそうしたようになった女と付き合い始めた。数度目の挑戦で無事ことへ至れたが、なかなか達せない。女は三成が初めてであったのでずいぶんつらい思いをさせたろう。女が眠りについたあと、便所で三成は女の作った夕飯をすべて吐き戻した。あの忌まわしい女の記憶を今や普段は忘れていられる。しかし服を脱いで身体を合わせるころになると、あのときの情景が脳裏にこびりついて放さない。けして三成をゆるさない。一体どんな悪いことをしたと言うのだ。最早連絡先も知らなければ、恐らく会ったとして、極端に言えば殺したとしてなにの解決にもならない、それくらいのことはわかる。
 それからもセックスの度、女が寝てから便所で戻した。いつからかはわからないが女もそれに気づいていたらしい。それぞれ就職して遠距離恋愛になっても、彼女との付き合いは長く続いた。たまに会えばデートの後にセックスもするが、三成が乗り気でないことは既に女も感づいている。いつしかデートのあとにもホテルへ入ることはなくなり、どちらかの部屋に泊まっても唇を合わせる程度でほかにはなにもしない。それで三成は平穏であったが、女のほうはそうでないらしかった。
 女の浮気はふとしたことから発覚した。毎日のように浮気相手の男と寝ていたらしい。その事実だけで胃の中身がなくなり胃液だけになっても尚吐き続けたので、名残惜しさも積もるほどあったがすぐに別れることにした。一番好きなのはあなただけと見苦しいお約束の言葉。しかし三成の気持ちがかたくなだとわかればすぐに女も身をひいた。あなたとは気も合ったし、一緒にいるのは楽しかった。けど。けど、のあとを女は言わない。三成も聞かなかった。裏切りは許さない。許さないが、しかし断罪をしよう気にもなれなかった。むしろこうして正当らしい理由をつけて終わらせられることに、奇妙な安堵すら感じていた。人心に疎い三成であっても、自身がこのようであることは女の矜持を少なからず傷つけただろうとわかる。女として至らぬのではと。罪悪感や責め苦はそれが女への裏切りにも近いと三成には感ぜられていたからだ。なじられるべきだった。感じていた苦痛は三成とて同じだ。生命にとって正しいはずの行為を健全に行えない。己は男として損なわれているのだろう。
 それからは一人身で暮らしている。何度か揺らぐこともあったが、過去を思えば同じ路を辿りかねぬことなど選びようがない。女に振り回されない日常は平穏だ。実際特に困らないのがさらに生命として損なわれているようにも感じられて、少なからず惨めであった。

 あるとき一枚のはがきが三成の元に届いた。年賀状でもなく喪中でもなく、暑中見舞いでもダイレクトメールでも実家からでもない手紙が三成に届くことなど滅多にない。一目でわかる。はがきは結婚を報告するものであった。名前に見覚えはなく、写真の中でタキシードを着ている男にも、ウェディングドレスを着て笑っている女にも見覚えはない。それから思い至ってどきりとする。腹や頭のなかの液体という液体がふつふつと煮えるようだ。幸せそうな女の顔。眼鏡こそなくきれいに化粧をしているが、確かにあの女だった。三成のなにかを確かに狂わせた、憎むべき女。その隣では男が太陽のような笑顔を浮かべている。怒りが三成の頭の中を駆け巡った。今でも自慰のときですらあのときの記憶が三成を苦しめる。いつになったらこの苦しみが終わるのか。否、なにをしたところで、どれほど時間が経ったところで終わることなどないのだろう。そう思うと、いっそ怒りよりも悲しみに頭が痛む。びりびりに破いてはがきは捨てた。




死ぬまで続く

(11/12/04)