※幸村の幼少(弁丸)の捏造、ほかにも捏造が多いです。
読まなくても話にまったく支障はないけれど設定。
幸村(弁丸)の父・昌幸が存命。昌幸は武田に仕えており、その流れで今は上田を治めている。ので真田家はみんなで上田に住んでいます。
幸村が元服・初陣前。信玄にもまだ出会っていないので熱血漢でない上に反抗期は少々だらけています。史実の反映は特になし。あと話の順は下→中→上で正しいです。
生まれは違う。同じ主に仕えるようになったのは縁と言う他ない。よく話したのは歳が近かったからというのが最も大きかったのかもしれないが、とにかく胡散臭い女だった。
「アンタさ」
「なんでしょうリーダー」
「りいだあ?」
「南蛮語というやつです」
「南蛮語? なんでまた急に」
「先日奥州へ行った折、南蛮からの使者が来ていたのです。じゃーん」
「なにそれ」
女の懐から取り出された薄手の冊子には佐助の見たことのない記号が連なっていた。暗号のようだ。差し出されたので受け取りぱらぱらと捲ってみる。謎の記号と仮名漢字が入り乱れ魔術書のようだ。近頃の寝不足も影響してか頭痛を感じたのですぐにそれを女に返した。
「リーダーは長という意味です」
「まさか盗んで来たんじゃないでしょうね」
「そんなまさか。写しです。これが南蛮文字で、ええ、びい、と二十六あるのですが、初めて見たので形を写すのがなかなか難しく」
「まあどうでもいいんだけどさ」
「使者がいたのは伊達ですね。伊達の嫡子が南蛮に興味を持っているようで」
「うん、どうでもいい」
「そうですね。仕事はちゃんとしたし足も残していないので咎めは聞きません」
思わずむきになりかけたのも意に介さず。こうした風に、調子を狂わせられる女である。意図して狂わせているのか否かは判然としないが、どちらであれ向こうから人に合わせようという意向は少しも感じられないので困ったものだ。こんな話がしたかったのではないと思い出して緩く首を振った。ついでに伊達が南蛮に興味、と頭に留めておく。話を脱線させられて本筋を話し忘れてしまうのも、彼女と話しているとしばしば起きることだった。仕事に関する大事な話もするのだし、そんなことがしばしばでは堪らない。流石に最近はこうなることがわかってきたので、本筋はがっちり頭に叩き込み、逸らされたときはなるべく早めに戻すようにしている。本当は今もなんの書かなど興味を持たずすぐに戻すべきだったのだが、どうも気になることは気になるので訊いてしまう。好奇心は毒にもなるが重要な発見にも繋がり得ると、ふとした興味に勝てない程度には佐助もまだ若かった。
今日はずっと気になっていたがいまいち訊くに訊けなかったことを、はっきりさせるべくわざわざ話を振ったのだ。この女に話を振ると嬉しそうに延々話し続けられるので、仕事以外ではあまり話しかけないようにしている。尤も向こうから話しかけられることのほうが多いので意味があるのかは些か怪しい。スルースキルばかり上がっているのはよくわかる。最たるは主の弁丸だが、とにかく日々様々などうでもいい能力ばかり鍛えあげられているのを佐助は感じていた。そもそも弁丸の身の回りの世話や教育を施すのは明らかに忍びの仕事ではない。はずなのに、なぜかそうしたものの半分近くは佐助を始めとした真田忍隊が請け負うようになっていた。それぞれの造詣が深いものを弁丸に教え、なににでも興味のある盛りの弁丸はそれをがんがん吸収していく。知識の幅が広いのは悪いことではない。悪くないが、武将の子と忍びがこうも深く馴れ合うのは奇妙なことに違いなかった。選り好みなく広くを知れとは智将と名高い弁丸の父たる昌幸から直々に仰せつかったことであるので誰もなにも言わないが、なぜこんなことになったのか、どこで道を間違えたのかについてはいくら考えても佐助にも、隊の誰にもわからなかった。遡るならば山で猿と遊んでいたところから間違っていたとしなければならぬのかもしれない。
思考が一巡りして、とにかく当初の目的を果たすべく未だ南蛮語の指南書を眺めている女に向き直る。
「話を戻すけど」「なんでしょう」
元のように本を懐へ戻し、女は笑う。歳に合った無邪気なものに見えなくもないが、佐助にはやはり底の知れないもののように映る。
「あのさあ」「はい」
「アンタって少年愛?」
「は」
ぽかんとした女の顔を目の当たりにして、一体自分はなにを訊いているのかと佐助の中でもやもやした気持ちが一気に膨れ上がった。言い訳が目まぐるしく頭の中を駆け抜けて、しかし言葉には出来ず赤面する。思わず赤面してしまった事実が恥ずかしくて更に赤面してしまうのだから酷い悪循環だ。それを見て女も怪訝な顔をする。「なに百面相してるんですか」「あーあー聞こえない」「長も若いですね」「アンタとたいして変わんないって……。だから、それで、どうなの」「少年愛、弁丸様ですか。楽しいことを仰りますね」「こっちは全然楽しくないよ」顔の熱も収まり溜息を吐く佐助を見て本当に楽しそうに笑う。まったく疾うに逃げる幸せも底を突いてしまっているので佐助の溜息は抑えがない。
「なぜそう思うんです」
「……なんとなーく、色目使っているように」
「見えますか。はは」「ははじゃないよ」
「元々戦忍じゃないので勘弁してください」
また流されているように感じながらもなぜ転向したのと問えば、積もるものの積もったところに色気と器量が足りんと言われたので腹が立ってやめましたと笑う。阿呆らしい。しかし佐助が見たところ今のほうが性に合っているようだった。習性ですねと付け加えるのを耳の端で聞いて、そう言いながら弁丸以外にはまったくその気は見えないじゃないかと思ったけれど口にはしない。ずっと気になっていたので訊いたものの、事実はどうであっても構わないというのが本音だ。仕事に支障の出るようでは困るがそこまで本気ではないようだし、ならば手さえ出なければ構わない。そのくらいの自重はあるだろう。真田忍隊は長が歳若いことも手伝って放任主義だった。実際にはそこまで手が回っていないと言うが正しい。「まったくなんで俺なんて長にするかなあ……」「気に入られたんでしょう」「もっとこの道長い人を立てればいいのにさ」「昌幸様が止めて下されば良かったのですけどね」「あの方も放任主義で困るよ、ほんと」「ここに来てから奇妙なことだらけです」「そうだね」「弁丸様は忍びを友人のように扱いなさる」
「さすけええええええええ!!」
屋敷中に響いただろう高く薄いが大きな声に、女はご指名ですと声の方を指し笑う。佐助も突然の大声に少々耳を傷めて疲れた顔をするが、すっかり慣れてしまったもので鍛錬を終えなにか食べたいと言い出す頃合だろうと主の姿を見ることもなく、言いつけの内容は容易に想像ができた。途中洗濯物から乾いた手拭いを取り水で絞って主の元へ向かえば、汗まみれで開口一番「腹がすいた!」だ。予想通り過ぎて笑う他ない。相手をしていたらしい壮年の男に弁丸様は日々お強くなられますと言われ、どうだと言わんばかりに誇らしげな顔で弁丸は佐助を見上げてくる。母親に褒めて貰いたがる子供かと頭痛を覚えたが、いちいち気にしていてはやっていられないので凄いですねと褒めてやる。ビジネスであってもそれで嬉しそうに笑ってくれれば佐助も悪い気はしない。困ったことに。腰を落として砂と汗で汚れた幼い主人の顔を拭く。「さすけ、はらが」「わかりましたって。その前に汗を流しましょうね」「ええー」「団子屋に行ってもいいですよ」「行ってくる!」竹刀も持ったまま湯殿に向かって駆け出すのを追おうとして、一歩とどまり稽古をつけてくれた男に頭を下げた。再び洗濯物から手拭いを、部屋から単衣を取り湯殿へ向かう。髪を洗ってやりながら、大声を出したことと男に礼を言わなかったことを叱らねばならない。
とその前に、先刻弁丸の顔を拭いた手拭いを丸めると、思い切り塀の向こうへと投げつけた。がさりと手拭は茂みの中に消える。「なんですか」そこから女が出てきて庭に下り立つ。手拭いはちゃんと受け止めたらしく手の中だ。
「旦那を風呂に入れたら俺は出るから」「団子屋ですか」
「いんや、ちょっくら尾張までね」
「団子買いに尾張まで行くんですか。ご苦労ですね」
「なわけないでしょ。偵察だって」
「ああ、はい」
「一人で行かせるわけにもいかないから、連れて行ってやって」「色目使ってるやつに任せていいんでしょうか」「どうせあの人にはわかんないから」「食べちゃいますよ。ばりばりと」「食べるとか言わないの。一応同僚としては最低限信用してるってこと。はいこれ」中に糸を通して輪にした六文を投げる。丁度これで一本が買えるので、団子屋に行くときはこうしている。家紋と掛けての冗句だ。弁丸にとっての六文は団子の値段でしかない。先に元服した兄の信幸も戦の際には首に六文銭を掛けているのだが、それについても戦のときは団子を食ってよいとされているのだと思っているのだから弁丸の頭は甚だ平和だ。しかし戦から帰る兄の首にはいつも六文が出たときのままに掛かっている。折角許しが出ているのに、食べないなんてもったいない。戦から帰ってきた兄を見る度に弁丸はそう思う。今はまだ弁丸の頭がどれだけ平和でおめでたくても、誰も叱ったりはしない。いっそそのままであって欲しいとさえ思っている者も、僅かながら存在する。勿論この先真田家の次男として、武将として生きていかねばならぬのだからそんな望みが叶う筈はないのだと誰もわかっているのだが。六文の本当の意くらいあと数年の間だけ、知らなくたっていい。
「尾張ってあの物騒な人がいるところでしょう」「織田信長ね」信長は近頃織田家を継ぎ、一気に勢力を拡大しつつあった。今は石山本願寺の起こした一揆に梃子摺っているようだが、なにぶん突拍子のない男らしくいつ直接的な脅威になるかもわからない。警戒する必要がある。
「死なないでくださいね」「なに急に」「こう言っておけば、とりあえず大丈夫そうじゃないですか」「逆に死にそうな気がするんだけど」「そんなことはありません。言い忘れたときに限って、死ぬんです」「それっていつも言ってる場合でしょ」「そして残されたわたしはあああのとき長に死なないでと言っていればと嘆き悲しみます」「あっそう。旦那が湯から出るまでに出られる格好に着替えといてね」「承知」
湯から上がってさっぱりした弁丸はご機嫌で首に六文をかけた。女は佐助とよく居るので、弁丸も忍隊の中では二番か三番によく話す方であった。こうして手を繋いで団子屋へ行くのも初めてのことではない。彼女もまだ十の半ばか後半に入るかというほどであるので、並んで茶屋へ向かう様子は姉弟にしか見えないだろう。道中ではあれこれと鍛錬や学んだ兵法の話をしたり、屋敷の縁側の下に居ついた猫の話などをする。最終的にはいつも一本しか買えぬ団子の味についてになるのだが、これが長期戦となる。団子屋に着いても決まらず品書きと睨めっこをしている弁丸を女は微笑ましく眺めていた。佐助と来るときはいつも団子一本に男らしくないさっさと決めてと急かされるのだが、女は急かす気配がないので弁丸もそれに甘えてひたすら悩む。佐助も女も、弁丸を主人である以上に可愛く思っていることには変わりないので、変わるのは躾についての心構えだろう。佐助には己がこの子を立派な武人にしなければならないという責任感が強くあった。一方女は基本的に全身全霊で弁丸を甘やかす。どちらが正しいかは言うまでもなく、佐助は損な役回りである。仕方もないので自身は鞭担当で飴は彼女に任せているのだと思うようにしている。
「決まりそうですか?」「きまらぬ」伸ばした手で品書きを持って、卓に顎をついて難しい顔をしながら弁丸が息を吐く。こんな体制も佐助といるときにはしない。行儀悪い! しゃんとして! とお小言がビシバシ飛んでくるとわかっているからだ。女は脇から主人が見ている品書きを覗き込んで、大きな瞳の向ける視線が団子の並んでいる右下でなく左上のほうへ注がれているのに気が付く。
「なにか他に食べたいものはございますか」「……」言っていいのか悪いのか、弁丸は難しい顔に逡巡を滲ませて女へ向けた。「どうぞ遠慮なく仰ってください」「……ぜんざい」
小さな手が指差した先には「善哉十文」とあった。六枚しか連なっていないとはわかっていながら首に掛かった銭を見て、広げ数えなおしてみる。当然ながら六枚だ。
「食べちゃいましょうか」
がばと勢いよく弁丸が顔を上げると女のいたずらな笑みがあった。佐助とならば有り得ない破格の待遇に思わず喜びに頬と口が緩むが、いくつか問題の残っていることに気付く。「だがかねが」「わたしが出しましょう」弁丸の金で雇われている身で当人に奢るというのも少々妙な話ではあるが。「佐助に、」「長は偵察に出ているので、ばれません。二人だけの秘密です」そこでようやくどうやら素直に喜んでもよさそうだと判断したらしい弁丸の顔が緩んでいく。
「その代わり」びしと眼前に立ったひとさし指に思わず寄り目になって、すぐに焦点を向かいの女に戻す。「全部食べたら夕餉に障ります。半分です。宜しいですか?」それでいいと何度も頷くと弁丸の括られた髪がそれに合わせてぴょこぴょこと跳ねた。
「御髪が乱れてしまいますよ」小さく笑い手櫛を通しながら女は主の頭を撫でる。おそらくと言わず身分を思えば無礼な行為だ。それは女にもわかっている。わかっているのにするのは弁丸がまだ子供であるからで、子供だからいいとするのが許されるわけではないともわかってはいるのだけれど。わかってはいるんだけど、そこで女の思考は止まる。けど、になにが続くのか女はわからない。おそらくそれは佐助にも。
しらたましらたまと節をつけて弁丸が歌う。半分は残すようとの意だったのだが見上げる目の無邪気な圧力に負けて、女は主と共に善哉をつついた。
弁丸様のおはようからおやすみまでを見守るの会・下
(09/08/04)