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草原だった。わたしはそこに立ち尽くしていた。アイスを持って。鞄がずるりと肩からすべり落ちる。吹き抜けるような風。首に下げていた携帯を開く。圏外。ありえない。舌打ちをして携帯を閉じる。日差しがじりじりする、奇妙なほどに広い空だった。たらりと腕にいやな感触がして、見るとアイスが垂れている。ソーダ味でラムネの入っているやつ。面倒くさくて腕を舐めると汗でしょっぱい。きもちわる。自分のだけど。食べかけのアイスがずるずると棒からずり落ちていく。上から大きく一口。口の中に広がる冷たさはあっという間にぬるくなる。日差しがひどい。日焼けする。ふと、地響きが聞こえた。地面が揺れている。地震? いやちがう。なんの音だ。あれ、これは、まずい、きがする。
どちらからの音だかわからなかった。前を見て、後ろを見て、左右も見る。前後にはずっと草原が続いていのだけれど、右側数百メートル先には木々が見えた。だからどこなんだってここは。考えるよりも先にわたしは右方向へ見える木々の群れへと駆けだした。「うわっ」アイスが制服についた。ちくしょう。でもとにかく走る。つっかけたローファーが脱げかけて転びそうになりながらも踏ん張って走る。溶けたアイスのように顔や背中を汗が伝って落ちている。ぬるい雨を浴びたみたいだ。アイスは捨てた。グッバイわたしのアイスクリーム。今生の別れやもしれぬ。木々まで百メートルも切った頃には音の方向がわかりその姿も見えてきた。なんだあれ。ジョーク。とにかくわたしは必死で走る。音源は黒々とした塊だった。それがものすごい勢いで迫ってくる。馬と人。その中にちらちらと茜色がたなびいている。ああこれ夢、これは夢だ。どうかわたしの姿には気がついてくれるなよ。足が重い。部活をやっておくべきだった、ちゃんと体育でも走っておくべきだった。後悔しながらも走る走る。このままでは轢き殺されてしまう。振り上げる手も足もだるい。最後の数歩ですべての力を出し切って、やっとの思いで木々の間に飛び込んだ。ゴール! 浪平選手、新記録です。わーぱちぱちぱち。勢いあまって幹にぶつかる。いたい。ずるずると腕で身体を引きずって、奥へと身体を運んだ。見つかるべきでないと、直感が言っていた。息があがって胸が苦しい。
地響きはすぐそばにまで迫っていた。こんな降りかかるような音はどこでも聞いたことがない。地面が揺れてまわっている。本当にそうなのかそう感じているだけなのかはわからない。幹の裏に身を隠してうずくまると、やっと一息つくことができた。やがて地響きがすぐ近くを通り過ぎていって、ようやくわたしは確認する。猛然と駆け抜けてゆく集団の正体を。馬。甲冑。旗。刀。
「……せ、ん、ごく」
やっとのことで、それだけが口からもれた。せんごく、戦国らしい。唖然とするわたしの眼前で爆音をあげて通り過ぎていく騎馬隊。家紋が見たいが目視できない。なにより見たところで分かるとも思えない。知ってる家紋なんて……ああ、ひとつもないかもしれない。この勢いは進軍か。どこへ、向かっているのだろう。見つかっては恐ろしいので顔を引っ込め膝に頭をうずめた。背中を預ける木の幹が地と共に震えている。はやく去ってくれと地響きの集団へひたすらに祈った。そしてこんな夢ははやく覚めてくれとも願う。そしてわたしは心底恐怖する。地面を蹴る足に夢でのふわつきがなかったことを。辺りが静まり返るまで、ひたすらわたしは揺れる木の下で震えていた。
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