なにか掛けてあげるべきか。ソファーの肘掛けからはみ出た長い足を眇に思案する。
ペンを滑らせる音さえ立てるのが憚られた。どんな音にも目を覚ましてしまいそうだ。するとなにかを掛けるにしてもまず椅子から立ち上がる音が問題で、次に扉を開ける音が問題で、極めつけになにかを掛けること自体が彼の意識を覚醒させるに違いない。ならば一先ず今はなにもせぬが最善だろうと判断づけて、わたしは机上の問題集に視線を戻す。分厚く重なった紙にはひたすら足し算の簡単な計算問題が並んでいる。習うより慣れだとバージルが買い与えてくれたものだ。子供向けの問題集を本屋で買ったバージルを店員は幼子の父親だと思ったのだろうと考えるとおかしくてたまらない。一冊すべて終わる頃には割り算まで一通り出来るようになるという仕様だが、まだページは序盤のほうで、一問一問に恐ろしく時間がかかる。終わりが見えない。
そもそも魔界に数という概念はないに等しい。なにもないことと1と2と、あとはたくさん。そんなところだ。しかし十進法は意外とすぐに身体に馴染んだ。人間に合わせて十進法ができたのか、はたまたその逆かは定かでないがとにかく人間の指が丁度十あるのだから本当に助かる。足の指まで使えば二十まで数えられて繰り上がりにも便利なのだけれど、手の指ほど器用に動かせないのと「貴様は他所で数を数えるときにわざわざ靴を脱ぐのか」と揶揄られたので控えることにしている。元の身体は片手四本ずつしか指がなかったので、小指の存在は長く人体七不思議のひとつでもあったくらいだから十進法には心底感激した。そうした理由もあって小指はとりわけ動かすのが苦手な部位だったので指折り計算をするのはその練習にもなっていい。しかしバージルによるといつまでも指を使って計算するのはいけないらしい。そう言われても、指を使ってもやっとな現状では頭の中だけで計算するなんてどれだけ長い年月をかければできるようになるのか不安でたまらない。
二問ほど解いて、今度はじろじろとソファーの上で眠っているバージルを見た。腹の上には伏せた本とそれを抑えるように手が乗せられている。手に隠れて本のタイトルは見えないが、どうせいつもの通り戦闘用魔術に関する本だろう。彼は生粋の人間界育ちらしく魔界の知識には疎い。というのは生粋の魔界育ちから見ればの話であって、行ったことも見たこともない割にはよく知っている。一体どこからそれらの知識を得ているのかは興味深いところだ。その本の入手先も同様。
バージルは魔界や悪魔に対してなにか特別な感情を持っているらしかった。それは父の故郷だからなどという生温くぼんやりしたものではない。興味ではなく明確な「魔界へ行きたい」という意志。なにをどうして魔界へ行きたいのかはわからない。わからないが、それはバージルがわたしをわからないのと同じことだろう。
しかし意図するところはわかる。バージルは力に固執している。それは日ごろの言葉の端々からも感じられた。彼は力を求めるのだろう。わたしが情を求めたように。恐らくバージルは彼の生まれたこの世界を捨ててしまう。力を求める理由がなんであれ、それを魔界へ求める限りいつか彼は故郷を捨てることとなる。
わたしはそれを止めるべきなのか。それが果たしてよいことなのか。わからないけれど、こうしてわたしに居場所を、帰る場所を与えてくれたバージルが自らそれを捨てようとしていることが、ただひたすらに。ああ、この感情を人はなんと呼ぶのだろう。わたしにはまだまだわからないことばかりだ。
安穏の足音
(11/08/21)