その自信に溢れた身の振りかたはしばしば周囲の人間を苛立たせた。己の卑屈さに誇りを持っている人なんてそういないだろうので、結局はみんな大和が羨ましいのだと思う。そうやって自分に自信を持てることも、自信を持てるほどの容姿や能力を持っていることも。
 不思議なことに、ああいった人間は世の中でずいぶんと稀有な存在だ。少なくともわたしは彼以外に見たことがない。能力と自信のバランスを取るのは難しい。わたしはどちらかと言えば卑屈よりだ。実際たいした能力もないと見える。少なくとも、彼に比べれば。勿論彼には天賦の才もあったのだろうけど、さらにそれを磨くことを怠らなかった。勉強もアメフトも。わたしは自分がなにを持っているのかを知らないし、磨こうともしていない。磨きもせずに、自分にはなにもないと嘆くのはきっとお門違いだし彼に失礼だ。でもいざなにをしようというものもない。たぶん、彼が例外でわたしは普通だ。みんな大概そうだ。部活に打ち込んでいる人はけっこういる。高校生ともなるとバンドとかに打ち込んでる人も多い。プロになりたいと思っている人もいるはずだ。でもその九十九てん九九九九九九以下略パーセントの人は、プロなんて夢の域をでていない。例えばわたしの高校の野球部は、残念ながら甲子園にかすりもしないかんじである。それでも野球に打ち込んで、今でもプロになりたいと思っているやつもいる。実際のところの現実とプロとの距離はともかくとしても、わたしから見れば彼らだって十分偉大だ。まず打ち込めるものがあること自体すばらしい。そんなわたしじゃ彼は大きすぎる。幼少からの付き合いだったけれど、小学生のときからすごいコーチのところまでアメフトを習いに行っていたそうだし、中学になって周りが恋愛ほにゃらら言い出し辟易していたわたしにアメリカに行くんだと言い出したときはもう意味がわからなかった。アメリカってあのアメリカ? ハリウッドのある? といったかんじだ。友達は彼氏が好きな人がきゃーとかやってる。私は吹奏楽部でクラリネットの音がうまく出せなくて苦しむ。ミスドのドーナツひとつ買う買わないで迷う。アメリカ留学? いったいいくらかかるんだろうね。アメリカってチップとかだすんでしょ? ホテルで掃除のおばさんとかにもチップあげないと目の前に立ち止まられたりするんでしょ? 本当か知らないけど。なんか無駄にお金かかりそ。それで彼はアメリカに行って、日本に帰ってきたと思ったら大阪に行ったらしいので同じ学校に通うことは二度となかった。まあ大学も違うだろう。高校も東京に住んでたってこんな公立には通わないだろう。相変わらずわたしはミスドのドーナツひとつ買う買わないで迷うし、友達は彼氏が好きな人がきゃーとかしてて、わたしもそれなりに一緒にしたし、クラリネットの腕は上達したけど吹奏楽部は弱小だ。ただの趣味だ。大和がアメリカに行って帰ってきたなんて信じられなくてよくわからない。日本に帰ってきたばかりらしいときに会って、ふーんじゃあ今もう英語ぺらぺらなんだ、話してみてよ、つったら本当にべらべら話されて、発音とか普通にリスニングのCD以上でちょっとひいた。なんか気持ち悪かった。もうアメリカに帰化しろそんで日本になんて帰ってくんなと思った。日本はおまえには小さすぎると思った、言ってやった。でもアメリカには君がいないじゃないか、とか言われた。ひいた。ばかじゃないの、って思ったから言ってやったら、馬鹿じゃないよと返された。やっぱりばかなんだと思う。
 幼稚園からずっと一緒で、家はそんなに近くもなかったけど、例えば幼稚園の休み時間にレンジャーごっこをするなら大和が絶対レッドでわたしはピンクだった。はずかしー。わたしそれよりセーラームーンごっこがしたかったんだけど。でもそうすると絶対わたしはジュピターで、セーラームーンは違う子なのに大和がタキシード仮面でちょっとなんでだよ! みたいな気持ちになるのでいつもレンジャーごっこをした。レンジャーごっこをしたがる女の子は稀有だったので、わたしがいつもピンクだった。たまに他に女の子が参加すると、すぐイエローにまわされた。まあそういった立ち位置だ。なぜ大和と仲が良かったのかはわからない。小学生のときに「なんで俺のこと大和って呼んでるの? 猛でいいよ」と訊かれた。言われてみれば幼稚園のときからずっと大和だ。それでよくよく思い返してみると、最初に名前を聞いたときなんとなく大和のほうが名前だと思ったからと思い出した。そう言うと、「でもそれじゃ俺がみちと結婚したとき困るだろ」と言われた。小学生だったわたしはたいそう困惑した。「みち大和と結婚するの? いやだよ」「大丈夫、幸せにするさ」白い歯を輝かせて大和は笑う。なんか勝手に決められてるし。なにが大丈夫か意味わからんし。それから家につくまでずっととうとうと大和的未来予想図を語られてしかもそれに勝手にわたしが組み込まれまくっていてうんざりした。でもなるほど将来大和と結婚するのかーと思うと悪い気はしなかった。大和がアメリカに行ってしまってからも、あれってまだ有効なのかなと思い出したことは何度もある。でも男子が「この前猛と電話したんだけどさあ、やっぱアメリカは中学生でもすげえらしいぜ!」とかまたアホなことを話していたのを聞いて諦めた。多分実際のところはあの男子が色々アホみたいなことを訊いて、大和は「はは、まあそういう人もいるね」くらいに言ったんだろうけど、大和が戻ってくる保障はないし、大和もあんなの子供の口約束だと思って忘れてるかもしれないし、待ってやる道理はないのかもと思ってわたしは縁のあった人と付き合いもしたし、好きにもなったし、そういうこともしたし、結局大和は物理的に地元には帰ってこなかった。大和も多分向こうで女の子と付き合ったことはあると思う。真面目で誠実と見えて、けっこう冷たいやつだ。妙に情がない。だから好意を持って近寄ってきた女の子に手をだすだけだして捨てるとか、できる人だと思う。実際したかは知らないけど。それで諦めてたつもりなのに、というか忘れてたけど、高校に入って落ち着いた頃、急に日本に帰ってると電話が来て、会ってみたら、あれだ。アメリカには君がいないじゃないかだ。ばっかだこいつ! と思った。とりあえず流した。その冗談まだ引きずってんのかよと思った。ちょっといらついた。タイミングよく一月前に中学からの彼氏とは別れたばかりだった。まあ、けっこう、そいつのことは好きだった。でも男って意味不明でいまいち信用ならなかったしこう、なんというのか、愛が感じられない。どうせおめー身体だけだろこのと思ってる部分もあって、それは向こうに通じてた。で、多分向こうも事実そういう部分もあったので、ああどうせそうだよわかってんならいいだろみたいな投げやりになって、あーもう付き合わなきゃ良かったよくそって言って別れた。連絡のない間も大和のことは週一から月一くらいで思い出して、大和と結婚したらどうなったかを考えた。悪くはないような気がしたけど、目の前にいない人間じゃ愛せないし、恋するにはスイッチと安全な土台が必要だ。わたしはつり橋効果な刹那の恋をするつもりはもうない。まだ高一だけど。
 日本に戻ってきて、大阪で一人暮らしをしているという大和からは度々メールや電話が来た。特に内容もないやつ。多分、こういうこと、あんまり他の人とはしてないと思う。コミュニケーションを面倒くさいと思う人間ではないだろうけど、不必要なメールや電話をする非合理的な人間でもない。それで度々あの冗談を引っ張る。困ったような、嬉しいような、びみょーな心境だ。彼氏はあれから作ってない。友達が紹介しようとしてくれるけど、なんとなく断っている。大和とは基本的に毎日に近くメールをして、週一くらいで電話をして、月一くらいで会った。付き合ってるわけでもないのにこれは普通うざいと思うべきなんだろうけど、話題は尽きないし大和は変でおかしくて頭はいいけどばかだから、たまにいらっとするけど、面白かった。大和と話すのは好きだ。
 あるとき会う約束をしたときに、友達を連れて行ってもいいかなと言われて、気の合わない人だったらやだなあとも思ったけど、断る理由もないので了承した。大和の友達なら大丈夫だろう。というか、大和はいつも広く浅い付き合いだから、そうやってわざわざ連れてくるほどの友達もできたんだとちょっと安心した。それからこれってもしかして彼女を友達に紹介するみたいなテンションじゃないかと一人で慌てた。けど今更やっぱ駄目とも言えないし、大和がなんてわたしを紹介するのかわからないけど、どきどきしながら待ち合わせ場所に行った。ら、髪がさらーってしたやつが来て、女かよ! と内心突っ込んでよく見たら、男だった。わたしが住んでいるのは東京の田舎っぽいところで、滅多に都心にも行かないからそんな髪の人を見るのは初めてだった。しかも色が、白? 銀? 都心に行くと絶対変な人を見てカルチャーショックを受けるんだけど、そういった都心にいるような人だった。実際大阪に住んでるけど彼も東京出身のようだった。とにかくカルチャーショックで驚いてじろじろ見てたら向こうもじつとわたしを見ていて、居心地が悪かった。たぶん友人の彼女、かっこかり、がどんな女か品定めされていた。彼、鷹くんはまあそれなりに納得したようだ。でも恐らく、あとで大和に「大和ってああいう女の子が好きなんだね」とか言っただろうのはまず間違いない。大和はいつもの一割増しくらいになんだか機嫌が良くて、大和が席を外してる間に鷹くんとアドレスを交換した。「こんな隠れて交換しなくてもいんじゃない?」と言ったけど「大和は君に関することだけ心が狭いからね」と返された。はあ、と返して、そんなわけねーだろと思っていた。だって、あの、大和だよ。あの大和ですよ。隠れて交換するほうがやましい感じがするけどなあ、と思っていたけど、鷹くんに「大和のこと、知りたいでしょ」と言われてそれもそうだったので色々教えて貰うことにした。鷹くんはやっぱり天賦の才があって、しかもそれを磨きに磨いていて、類は友を呼ぶ典型的な例になる大和の友達だった。でも大和の百倍常識的な考え方をしてた。鷹くんは大和がわたしについてかなり捏造や自己完結の入った勝手な話をしていたことに気づいていたそうで、わたしの話を聞いてくれた。それから、「でも君も、大和のこと嫌いではないでしょ。どちらかと言えば、好意的に思ってる」等などと、なかなか自分では思っていてもふにゃふにゃしていた部分を、明確に言葉にされて、うん、そう、と言わずにはいられなかった。
 鷹くんは相当マイペースな人で、基本的にメールの返事はものすごく遅かった。けどもその一通一通には的確な大和やわたしの情報が詰まっていたので、ものすごく重宝していた。いっそ全部パソコンにバックアップして取っておいても良かったと思う。恥ずかしいからしてないけど。鷹くんから大和の話を聞く毎に、もっと大和に会って、できればああいう休日だけでなく学校にいたり部活をしている大和と会って、色々な部分を知りたいと思った。それからこれってもう随分恋愛すれすれのところまで来ているんじゃないかと気がついた。相変わらずスイッチはなく、わたしは大和を信じていいのか悪いのか境界線で足踏みしつづけていたのだけれど、そろそろはっきりさせないともどかしくてたまらないので鷹くんに訊くことにした。秋の終わりだったと思う。恥ずかしかったので、ぐだぐだしたかんじの文章になってしまった。鷹くんは知ってるだろうけど今までのいきさつのこととか、大和のことは好きだけど、今はまだ恋とか愛じゃないこと、いまいち大和が冗談なのか本気なのかわからないこと、鷹くんから見て、大和はわたしをどう思ってると思うかを教えて欲しいこと。前夜に明日こそ訊こうと思って、授業中も文章を作って放課後にメールを送信した。返事は翌日に来た。二時間目で、数学の時間だった。三角関数で、サインコサインって結局のところなんなのよという壁にぶち当たり、その壁は無視してもべつに進めるのだけどどうにも気になって仕方なくて先生の話とどんどん距離ばかり開きつつあった。ブレザーのポケットで携帯が震えて、大和かと思って開くと鷹くんだった。なんだ鷹くんかーと思ってから送ったメールを思い出して一人で赤面した。なんだか怖くて薄目でメールを開いて見たい気持ちと見たくない気持ちがせめぎ合って格闘した。隣の男子がわたしを見てそうとう不審そうな顔をした。画面はわりと白いのがなんとなくわかる。ええいと気合を入れて机から僅かに出した画面を見た。
「大和はいつも君とアメフトのことしか考えてないと思う。」
 いよいよわたしは本格的に赤面した。うわ、って微妙に声がでて、左手で口と鼻半分くらいを覆った。男子がだいじょーぶかおまえと小声で言ったけど無視した。それからやっとアメフトもかよ! と口だけ動かしてつっこんだ。猛烈に恥ずかしかった。もうれつにはずかしい! と思ってから猛烈の猛の字がタケルでまた赤面した。自分ばかだと思った。それからにやけた。それがスイッチそのいちだ。これがものすごく大きい。


 クリスマスに東京に来るのだと言う。てっきりデートでもするのかと思ったら、アメフトの試合なのだそうだ。その試合が終わったら出かけようと言うので結局デートもするようだけど。試合を見に来て欲しいのだと言われた。ふたつ返事で了承して、じゃあルールを勉強しなきゃなあと本屋でてきとうにアメフト雑誌を買ったら数日後に同じ雑誌が大和から届いたのでおかしくて笑った。同じの買ってたよ! とメールするとそれは運命だねとか言われてまた大和やっぱりばかでしょ、ばかじゃないよと言って笑った。なにこの幸せ気持ち悪いとか言う暇もなく怒涛の幸福の嵐であった。
 相変わらず鷹くんとのメールも続いていて、それから試合の前日は家にいたほうがいいと言われた。理由を訊いたけれど誤魔化されて、大和が来るつもりなのだろうなと思った。鷹くんに言われなければ友達と出かける予定を入れただろうので、大和は変に詰めが甘いと思う。
 試合の前日、夕方になる前くらいに大和が訪ねてきた。驚いた顔をすると嬉しそうにわらう。いつも自信に満ちていて大人みたいな顔をしているのに、こういう妙に子供っぽいところがかわいい。寒いから入りなよと言ったけれど本気で嫌がったので諦めて、せめてドアだけ閉めて玄関で話した。わたしも寒いんだけどね。明日は大事な試合だからけっこう無理して抜けて来たんだろう。ちょっとくだらない話をして、大和は神妙な顔をした。明日の試合がいかに大事かを少々語って、勝ちたいし、勿論勝つつもりだし、勝ち以外有り得ないと言った。アイシールド21と名乗る小柄の少年が東京で活躍していたことはニュースで見て知っていたし、大和がアメリカにいる間アイシールド21と呼ばれて活躍していたことも知っていた。そのアイシールド21にも、勝ちたいし、勿論勝つつもりだし、勝ち以外有り得ないと言った。うん、応援してるとわたしは言った。それから少し考えた顔をして黙って、「もし」と口を開いた。「もし俺がアメフトをしてなかったら、」大和とアメフトはわたしの中でセットだったので、そりゃあ勿論、幼稚園のときの大和はアメフトをしていなかったけれど、気がついたときにはもうセットで切り離せないものになっていた。アメフトをしていない大和なんてわたしの中では有り得なくて、きっと大和の中ではもっと有り得なかった。
「そしたら、アメリカに行かなかったし大阪にも行かなかった。勿論それらを後悔していないし、良かったと思ってる。でも、アメフトをしていなければ、もっとずっとみちと一緒にいられたのにと思うと、少し、」そこで言葉を切って、少々ばつの悪そうな顔をして目をそらした。そうした表情はものすごく珍しい、むしろ初めてな気すらしたので凝視する。「かなしいよ」そう言って、こんなこと言って恥ずかしいなという顔をした。なんだこいつかわいいなちくしょう! と思いながらわたしはひどく照れていた。なんと言おうか迷って、たぶん普通ならでもわたしはアメフトしてる大和が好きだよ! と言うのだろうけど、そんなの今更というか、とにかくアメフトしてる大和もなにもしていない大和は有り得ないので、そんなことを言うのはくだらなかった。し、大和としてもそれは当たり前のことだった。今の言葉で重要なのは、アメフトをしている大和が現実にあることじゃなく、大和がそう思ったのだとわたしに伝えたことだった。そうしたことを、大和がわたしに言うのは初めてだった。大和は男子によくあるかんじにええかっこしいでばかなのだ。
 たいそう動揺したわたしが片言気味にうれしいですと言うと、しょうしょう緊張の解けたらしい大和は笑って、明日の試合で勝ったら結婚してくれないかなと言った。それには流石に停止した。だって高校生だし大和はまだ法律上結婚できないからだ、というのは理性的な意見であって、ふつうに停止した。わたしはまず小学生のときの大和の台詞を思い出して、それから耳をすませばを思い出した。ラストに名前は忘れたけどバイオリン作りの男がヒロインに結婚してくれっ! と抱きつくのを見てはばかじゃねーのと思ったのだ。だってばかだろ。それと完全に同じだったわけだけれど、残念なことにわたしは大和をばかだとは思えなかった。わたしは先刻既に人生で一番に近く照れていたわけだけれど、さらに照れていた。照れ記録を更新しまくりである。わたしが赤面して黙って俯いていると、了解と取ったのか返事はまた後でいいということなのか、それじゃ、また明日と言って玄関を開けると大和は軽快に走り去って行った。
 それから考えて気づいたけれど、まだわたしのスイッチはひとつしか入っておらず、いや、さっきのカミングアウトでもういっこ入ったけど、とにかくまだふたつしか入っておらず、まあそっちはもうだいぶ十分な感じもするけど、なにより、わたしたちはまだ付き合ってすらいないのだった。安全な土台がない。鷹くんに大和にプロポーズされたとメールを打ったけれど、明日の試合は彼にとっても大事だろうし、もしかしたら彼も明日勝ったら結婚してくれと彼女に伝えたかもしれないし、そんなわけないけど、とにかく明日の試合は鷹くんにとっても大事だろうことに変わりはないのでメールは送らずに消した。早めに布団に入ったけれど、ぜんぜん眠れなかった。カチカチ時計の音がする。



 それで、結局帝黒は負けた。
 大和も負けた。東京の小柄なアイシールド21に。シーザーズチャージ! とか絶対予告とかやってる試合中の大和はちょっとアホで可愛かったけど負けてしまったのでそんなことは言えそうにない。試合が終わってから、帰りの電車に乗りながら、バスに乗りながら、大和はどうしているか、なにを思っているか気になった。泣いたりしてるかな、と思って泣いているなら是非見たいと不謹慎にも思った。家の前に着くと、リビングには電気が点いていた。ドアを開けようと手袋を取って、ひやりとした取っ手に触れて、開けることを躊躇った。大和が、あの大和が、誰かに負けるところをはじめて見た。
 携帯を取り出して電話をした。暫くコールが続いて留守電に変わり、何度か名前を呼んだら大和がでた。
「ごめん」電話にすぐ出なかったことについてか、試合に負けたことについてかは不明だ。
「今どこにいるの?」「ホテル」「どこ?」ホテルの名前を言われたけどわからない。「駅、近い?」ホテルのすぐ前らしい駅の名前はわかった。都心から、なんぼか離れたところだ。家から、そんなに遠くはない。
「今から行ってもいい?」「駄目だ。もう遅いし、危ない」言葉ほど強い否定は感じられなかった。「駅に着いたらまた連絡する」とだけ言って一方的に切った。追求されると面倒くさい。
 バス停に戻ると、都合よく十分くらいで次のバスが来た。それを逃すと次は一時間近く先だったので、危ないところだった。
 本を読む気にも音楽を聴く気にもなれなくて、大和になんて言おうか考えた。大和が慰めを欲しがるとは思えなかったし、むしろ慰めは大和のプライドを傷つけるように思われた。そもそも大和がどのくらい落ち込んでいるのかがわかりかねた。長く感じる道中、なんの解決にならなくても、とにかく大和のことを考える他なかった。
 駅でホテルの部屋番を聞いて、綺麗なエレベーターを上がりインターホンを鳴らすとすぐに大和が出た。昨日会ったままの大和がいた。目は赤くなったりなんて少しもしていないし、垂れ流すほどの自信もほとんど変わっていなかった。あと爆発した髪も直ってた。試合前の高揚感は消えたようだけど、大和は常に先を見ているので、また次のなにかに向けての高揚感があるようで、まあ要するにこっちが拍子抜けするくらいなにも変わっていなかったのだけれど、わたしを見て申し訳なさそうな顔をした。これも初めて見る顔だと思う。もう一度大和はごめんと言った。招かれるままに部屋に上がると、少なくとも高校生が部活の遠征で来て泊まる部屋じゃないなというくらい綺麗だった。さすが私立。わたしを椅子に座らせると、ベッドに座って「負けたよ」と小さく笑った。自嘲気味と言うには爽やかだった。負けたことには納得しているようだった。負けて納得できるというのは、すごいことだと思う。わたしは別に大和を責めるつもりはなかった。そもそも結婚というのもどう考えても早計だった。
「完全に俺の実力不足だった。また、鍛え直すよ。そしてセナくんに勝って、アイシールド21の名を取り戻す」「うん」
 拳を握ってそう宣言する大和の目にはめらめらと闘志の炎が燃えていた。これからのアメフトについて幾つかわたしに宣言した。今度はそれが達成されたら結婚してくれとは言わなかった。言わなくていい。
 大方今日の試合やこれからについて話し終えて、大和は黙った。昨日の宣言のことについては、話し出しかねているようだった。そりゃあ、流石の大和もあれはばつが悪いに決まってる。でもたまには負けるのも悪いことではないだろう。大和としては勝ち続けなければならないのだろうけど。負けを知って、大和が立ち直れなくなったり自棄になったりするかもしれないと微かに心配もしたけれど、それはまったく不要だったみたいだ。大和はわたしの予想以上に大人で理性的だった。
「昨日のことなんだけど」
 沈黙の末、わたしが口を開くと大和が顔を上げた。やっぱり少しばつの悪そうな顔をしている。
「男に二言はないつもりだよ」「うん、でも」「諦められそうにもない」「うん。負けたからってそれだけで諦められたらなんだよって思うよ」「だろうね」「でも、やっぱりちょっと早いかなって」「そうかな」「だって、結婚したら、一生だよ。一生って、長いでしょ」「短いよ。みちといるには」またくさいことを言われてちょっと笑った。最初はくさいことを言われるとなんか大丈夫かよこいつと思って笑ったけれど、最近はふつうに嬉しくて笑ってしまうのだからちょっとわたしはかなりのところまで来てる。
「俺は重いかな」
 ふと、なにげないように言ったけれど、なかなかずっしりとしたかんじに響いた。「鷹に言われたよ」流石鷹くん、常識的で的確な指摘だ。それからわたしはそれに該当する今までの大和の言動を思い出そうとした。確かに、高一で結婚は重いといえば重い。
「大和さ、小学生のとき、わたしと結婚するって言ったじゃん」「言った」「あれから、ずっと、わたしには大和と結婚するっていう道がぼんやりあったのよ」「それは、嬉しい」「でも、まずは先のことより今をちゃんとすべきでしょ」「ちゃんとって言うのは?」「安心したいの、わたしは」わからないと大和は首を捻る。確かに大和がわたしを好きだということには安心しているけれど、もっと根本的なところだ。遠まわしに言ってもわからないのはわかっているけれど、直接的に言ったら意味がない。
「今のわたしたちの関係って、なんなの」「恋人だよ」「うそ!」思わず椅子から立ち上がる。「嘘じゃないさ。じゃあみちはなんだと思ってたんだい」「だって、大和好き好き愛してるは普通に言うくせに全然告白っていうか、あの……付き合ってくださいとかなかったじゃん!」「あったよ」しれっと答えられて頭を悩ませる。ついに妄想と現実の区別がつかなくなったのかこいつ! 記憶を辿ってみるけれど、まったく思い当たらない。
「……ほんとに?」「本当」詰め寄って問いただすと嬉しそうに笑う。そのときのわたしは付き合いを承諾したようだ。
「い、いつ?」「覚えてなくても仕方ないな。四歳のときだ」「時効だろ!」「ごめん、そうかもって気もしてた」「ええええー……覚えてないのはちょっと悪い気もするけど…………どうなの」「どうだろうね」「そしたらわたし浮気してたってことになるじゃん」「そうなるね」「大和も浮気したことになるじゃん」「俺はみち以外を見たことはないよ」「触ったことはあるんでしょ」「それは否定できないな」「わー」ぽかぽかと殴ると引き寄せられて隣に座らされた。よく考えたらもう何度も会っているのに、ごみを掃うとかなにかを渡したり受け取ったりといった理由なく触られるのは初めてで触れられた部分が熱かった。実際大和の手も熱かった。大和は子供の時分から相当子供体温である。
「好きだよ。俺と付き合って」
 時効かもと思いながら言い直さなかったのは言うのが恥ずかしかったからだろうに、いざ言うとなればいつもと同じような笑顔でなんてことないように言ってのける。大和は基本爽やか笑顔が常備なわけだけども、それの些細な違いを見分けるのがなかなか至難の業である。このときいささか大和がはにかんでいるのをわたしは見抜いた。しかしいつになく近い大和にも、近いせいで胸とおなかのあいだあたりで響く低い声にもどきどきして仕方がなかった。もう恥ずかしくて顔が直視できない。あーもう大和大和大和って!
 真っ赤になってこくこく頷くと大和は満足したように頷いた。「わたしもすき」喉がからからで掠れた声になった。これには予想外だったようで大和も顔を赤くした。
 そうしてわたしたちはようやっと晴れてちゃんと恋人同士になったのである。
 その日は無理を言ってホテルに泊まった。お母さんはわたしが大和とたまに会っていたのを知っていたし、大和のお母さんとは今でも交流があるようだし、大和のことはかなり認めていたので、お父さんは説得すると言ってくれた。説得してくれてなんだけど、キス止まりでセックスはしていない。お父さんは気の揉み損だったと思う。まだ高一だからとかいうのでなく(二人とも非童貞だし非処女なわけだし)、まあゆっくりのほうがいいかなとなんとなく双方判断したからである。あとこんな高そうなホテルじゃ汚すのは怖いし(庶民魂すぎる。高いからこそちょっとくらい汚しても大丈夫なんだろうけど)、純粋にゴムがないとかもあったのかもしれない。大和がゴム常備だったらちょっといやだ。べつにいいけど。服は仕方ないとして、下着と夕食と朝食だけ近くのコンビニで買った。ついでに大和は夜食を買ってた。いいんですかスポーツマンとちゃかしたら、たまにはいいさと流された。大和はわりと食生活には気をつけてる。でもわたしが一緒のものを食べたほうが嬉しいと思っているのはわかっているみたいだ。向こうはわたしが食べているのを見るのが好きで、自分が食べることにはさして興味はないと言っていた。でも出かけたときは、付き合ってわたしがクレープを食べれば大和もクレープを食べてくれるし、レストランでデザートを頼めば大和もデザートを頼んでくれる。高校生男子とは思えぬ気づきの良さと気配りの良さである。すばらしすぎる。ちなみにそこでゴムを買わなかったので大和もする気はないんだなと見た。それにしても彼女と同じベッドで一夜を共にして、しかもわたしはバスローブなのに我慢するとは、高校生男子とは思えぬ素晴らしい理性である。そう言ったら「本当は今すぐでも襲いたいけどね」と目を光らせられて、背筋が寒くなった。「でもいいよ。こうしてるのも十分幸せだし、楽しみは後のほうがいい」「マゾなの?」「違う」「じょうだーん」「しってる」大和の左腕に頭を乗せて、二人でふふと笑いあう。なんだかんだ、時間も時間だし健康的な生活を送っている大和の目はねむそうだ。かわいい。
「さっきね、」「うん?」大和が目をぱちんと改めたように目を開ける。「大和が重いってはなし」まばたきで頷く。「わたしは嬉しいとしか思ったことないよ」わたしがふへへと笑うと大和も目をつむって笑って、右手でわたしの頬を撫でた。わたしもロンT越しに大和の腕を撫でた。すぐに大和の息の調子が変わったので寝たかな、と近づいておでこをくっつける。寝たみたいだ。そういえば今日は試合だったんだと思い出す。疲れているはずだ。そんなこともないのかな。長い一日だった。電車に乗ってスタジアムに向かっていたのが昨日のことのようだ。大和は明日は部活で行動して、夕方にはみんな東京を出るのだそうだけどそこで部活とは別れて東京に残るらしい。そんな勝手なことしていいのと思ったけど、一軍だからねと言われたのでそういうものなんだろう。大和はビジネスホテルに泊まるつもりらしいけど、頼んだら家で泊めて貰えないかな。お父さんが卒倒するかな。客間ならいいかもしれないから、明日の朝頼んでみよう。それと大和にまたいつか試合を見に行かせてねと言おう。そういえば大和の寝顔を見るのは初めてだ。人の前じゃ滅多に隙なんて見せないから、勿論学校でも授業中寝るなんてこともないんだろう。そんな大和がわたしの目の前でぐうぐう眠っているのだと思うと面白い。もう一度ふへへと笑ってにじり寄ってキスをする。すぐに離して、それから軽く噛んだり舌でつついたりして薄いながらも唇の弾力を楽しむ。気の済むまでそうして、少し下がってぴったりと顔を胸板にくっつけた。いちおう、バスローブになってからは密着するのは自粛していた。大和の心臓のどくどく言うのが聞こえる。さっき抱きしめられたときよりもちょっとだけゆっくりだ。自分のどくどくも聞こえて、どちらのものかすぐにわからなくなった。目をつむってその音を聞いていたら、いつの間にか眠ってしまった。




※一生離れられない

危険性があります


お題「※一生離れられない危険性があります」
企画参加「せかいときみ(携帯向)」
(09/03/23)