人と天使は相容れない。そんなことは人だって、天使だって知っている。理解していたはずだ。
 神がイーノックを天界へ召抱えなければ。少しでも天使の人への興味は薄らいだろうし洪水計画だってだれも止めず、速やかに実行できる。ルシフェルの指も痛まない。それでも神がイーノックに旅立たせろと言うのならば不平はない。指くらいいくらでも鳴らそう。なに、長い時間の果てに旅が成功することは既にわかっているのだからなにも懸念などはない。少しばかり装備や新しい携帯電話を買い求めに未来へ赴く労力がかかるくらいのことだ。
 そうだ。だからなにも不平はない。不満もない。不安だって。
 そもそも天使は感情など持たないのだから。

 だから腕がへし折れねじ切れ刻まれようと痛くもつらくも悲しくもない。天使は血を流さない。血を流すのは地上の生物だけである。けれど便宜上長らく人の形を象っていたルシフェルの白い腕からはルシフェルを構成する物質が血のようにぼたぼたと零れ落ちる。近今多くの天使が感情のようなものを多少なり持ってしまったのは、長く人間の形を保ち続けたせいかもしれないとルシフェルは考えた。だとすると、およそ天使という存在も人とそう変わらず不安定で危ういものであるのだろう。感情こそがグリゴリの天使たちを堕天せしめたのだからやはり人もグリゴリの天使たちも等しく罪深い。彼らの堕天が起きなければという意見は神と一致しているので最早何億と初めからやり直しているが、地上を監視する天使たちが堕天しない道はイヴが知恵の実を食べない道がないことと同様に存在せぬらしい。勿論イーノックの天界へ来るか否かに関わらず。イーノックの言い分を無視して洪水計画を実行したこともあるが、そうして人を一掃したところで長い時間の後に繁栄する人は洪水前とさして変わらない。だからどうせ無駄なのだ。ルシフェルにとってはすべてが瑣末なことだ。なるべく面白くて楽しくて、それで面倒でなければいい。
 万物を知るのは神のみだ。大天使であり時を操れるルシフェルにだって知らないことはある。いかなる未来も過去も知ることが出来るが、当然知らないことは知らないし、見たことのないものは知らない。正に“今”が、彼にとってそうだった。ここがどこであるのか。これからどうなるのか。なにもわからない。ルシフェルは初めてのことはあまり好きでない。知ることを楽しめるのは人ならではの性質だろう。
「今日の夕飯はなんだと思う?」
 白い壁。白いテーブル。白い椅子。ルシフェルの座る向かいには知らぬ女が笑っていた。笑っている。わからないが、細められた目に上がる口端、持ち上げられた頬、ああした表情は笑っていると形容するのが正解だ。人は嬉しいと、笑う。天使もそれを人と同様、経験的に理解する。そして感情を知識として持つ。積み重ねられた知識と経験を感情と錯覚する。
 目の前の女は人か。天使か。知らぬはずだが、その笑顔は親しげだ。
「わからないな。なにも判断できる要素がない」「そうね。確かにヒントのないクイズはつまらない」「すまないが、そもそも私は食事をしないんだ。だから夕飯は食べられない」「どうして?」「天使は食事という形での栄養の摂取を必要としないだろう」「どうして天使の話をするの?」「どうしてって……」ここでルシフェルはやり取りのすべてが面倒になった。今すぐ指を鳴らして、この時間から、この場から消えてしまいたい。或いはこの状況、この白い部屋と目の前の女、それらの過ぎ去った時間まで飛び去ってしまいたい。中指と親指の腹をこすりあわせたところで、右腕のないことを思い出す。
「あなたは人間なのに」
 痛覚などないのだから痛くない。呼吸などしないのだから苦しくない。感情などないのだから揺るがない。ルシフェルは人でないからだ。その形状がどれだけ人であっても。右腕からは赤い液体が垂れつづけていた。



そのとき、形而のしたで



(11/08/16)