アハハはなんだか繰り返すと狂気じみててスタンダードなんだけど、イヒヒになるとなんだか途端に仮装パーティみたいで間抜けだよね。ぼんやりと思考を回転させながらボクは身体の透明度を操作して夜の町を駆け巡る。追いかけっこなんて久しぶり、楽しい楽しい。
自分で言うのもなんだけど、ボクはこの「透明人間」なる特性もあってかなりきみの世界には向いてると思う。だいたい妖怪がバンドやってるなんておかし過ぎて笑っちゃうよね。本当だよ。
たすんとひとつの家の屋根に脚をつけるとボクの透明な身体を銃弾が通り抜ける。くるりと右足を軸にターンして見おろすと、愛機のひとつの改造九ミリパラベラムを構えた彼女がボクを見上げて立っている。あんな威力の大きな銃を使っているのだから、彼女は本気だ。一発に全てを委ねることはない、何度打っても構わないのだ。何発だって外していい。一発だけ、当たればいい。ぎらぎらと血走った目は姿を消しても尚ボクを捕らえる。「ヒヒ、怖いねエ」笑って改めて口に出せば、快感にも似た恐怖が背筋を這い上がる。歯が見えたのだろう、今度は意識的に頭を狙ったと判る位置に弾が飛んでくる。
「ねエ、あんまり撃つと後々面倒なことになるヨ。警察に通報されたらキミも困るでしょ」廃ビルのひとつに入り込んで、脚を止めるとボクは言う。コンクリートの壁に乱れるように反射して、ボクの声は幻のもののように響いた。しかし彼女は応えない。ぎらぎらと光る目の強さが増すばかり。
「
香月。何故ボクがこんなことをしたのか訊きたそうだね」彼女は応えない。
集中力も切れてきたらしく普段の冷静さを失った彼女は無作為にコンクリートに穴を空ける。ボクは溜息を吐くとわざとカツリとブーツで床を叩いて、一気に距離を詰める。恐怖にも似た色の目がボクを写したときにはその距離一メートル半にも及ばなかった。最早麻痺した耳の奥底で銃声が鳴り響く。
「馬鹿だなア。ボクがキミに悪いようしたことなんてなかったでしょ。キミが本当に幸せになれるようなら、ボクは黙っていたよ」キミが本当に幸せになれるようなとき、ボクが本当に黙っていられたかはわからない。だけどいいんだ、今回はキミが本当に幸せになれるようなときではなかったから、ボクは黙っていなくてもいい。
ぐにゃりと歪みながら姿を現すと、確かに現実の感覚がブーツの底から伝わってくる。ぼたぼたと抉り取られた肩から血が流れ落ちた。ボクの血ほどではないにせよ、彼女もぼたぼたと涙を零していた。銃を握る手は震えている。
「嘘だよ、キミに愛される彼が憎いから殺した」「うそ、うそよ」
大きな音を立てて銃が床に落ちる。彼女は手の甲でしきりに顔をぬぐった。「うそよ。あの人が浮気していたから殺したんでしょ。わたし、知ってるもの。知ってたもの」
大きくしゃくりをあげて彼女は涙を拭う。手を出しはしない。彼女に触れることが恐れ多いとはわかっている。嗚咽がコンクリートの部屋に響いた。わかっている、ボクは『彼が浮気をしている』と言う理由にかまけて巧妙に彼女の為をにおわせて邪魔者を排除しただけだ。いつか訪れる彼女の不幸を違う形で打ち消して、だとして彼女に訪れた事実が不幸であることは変わらない。
ボクが彼女の幸せをひとつ消したことには変わりない。
鈍色の心
(からだは無色・こころは有色)
雪之丞氏に捧ぐ
(07/07/29)