周りに倒れた不良たち。この程度、軽い朝の運動だ。僕の前で群れた人間は、誰であろうと咬み殺す。
 見ていないふりをした無数の視線が纏わりついてくる。うっとうしい。
「なに、みてるの」
 だれに言うでもなく呟けば、僕に集まっていた視線はさっと散らばった。どいつもこいつも。後処理は草壁に任せてバイクに跨り学校へ向かった。八時前には校門に立たなければならない。
 登校してくる生徒たちの服装をチェックし校則違反者と遅刻者を咬み殺す。いつの間にか遅刻するくらいなら休めという風潮ができているらしく、遅刻者はほとんどいない。念のため九時まで校門に立つ。八時四十六分に、処理を終えたらしい草壁が急いでやってきた。事情があろうと風紀委員が遅刻だなんていただけないね。トンファーをお見舞いしてやった。このところは制服の校則違反者も捕まらない。僕の前でだけ直しているのだろう。草食動物は姑息だ。
 応接室に戻ると、大抵この時間にはここにいた廿楽さんはいなかった。ここ一週間ほとんど姿を見ていない。そもそも彼女がここに来る理由も、なくなったのか。彼女への苛めはおそらくもう、終わったのだから。
 授業中に見回りをするわけにもいかないし、するべき書類は昨日すべて片付けた。さてどうしたものか。することがない。屋上で昼寝でもしようかな。さすがにまだ寒いだろうか。
 コツコツと控えめに、応接室の扉が叩かれた。僕がノックをされても返事をしない人間だと知っていたのだろう、扉はすぐに開かれた。見ると、ここ一週間でだいぶ痣や生傷の減った彼女が立っていた。
「入りなよ」
 曖昧に頷いて部屋に入ると、彼女はいつも座っていたソファに腰掛けた。その動きはどこかぎこちなく、顔面は蒼白だ。せっかく君がまた笑えるようになったと思ったのに。どうやら僕の思い違いだったらしい。


 その日はいつもと何ら変わりのない、平凡な一日となるはずだった。けれど僕の動物的とも言える第六感は、朝から飽くことなく警鐘を鳴らし続けていた。頭が痛い。胸の奥がざわざわして、苛々する。しかし僕はそれが警告だとわからなかった。気付かなかった。
 昼休み、廿楽さんはずっとここにいた。予鈴が鳴ると「次は社会だから」と言って教室へ行ってしまった。彼女は英語を除いた主要五教科以外の授業はすべて受けず、ここにいた。体育や技術家庭、音楽はクラスメイトとの共同作業が多いし、英語は隣席と一緒に教科書を読んだりプリントにある数パターンの文章を使って色々な人と自由に会話をするといった活動をすることがあるからだ。僕もそれらの授業は好きではない。特に英語。恐らく卒業まで、僕は英語の授業にでない。プリントを配られて自由行動になっても、僕は誰にも話しかけられないし誰も僕には声をかけない。その居心地の悪さと言ったらない。クラスメイトはいつもの仲良し同士で群れて、わいわいと拙い英語を交わす。他の風紀委員たちも同じような居心地の悪さを味わっているのだろうか。
 放課後、仕事の終わった草壁が廿楽さんがどうのこうのとなにか言っていた気がする。うんうんと返してはいたが、まったく聞いていなかった。覚えていたら明日訊こう。
 冬は陽が落ちるのが早い。真っ暗になってからでは色々な確認が取り辛いから、下校時刻には少し早いけれど校内の見回りを済ませてしまおう。体育館からはボールの弾む音、柔剣道場からは足音と竹刀のぶつかる音に掛け声、校庭からは喧騒とバットがボールを打つ音が聞こえた。教室にはほとんど誰もいないのだろう、応接室のある南棟の一階は職員室と校長室を除いて真っ暗だった。まず北棟へ渡り一階二階と見て、それから二階の渡り廊下を通って南棟へ移動していた最中だ。耳を突くような悲鳴を聞いた。何枚もの壁を介していたからだろう、いくらかそれは濁っていたが僕の機嫌を悪くさせるには十分な騒音だった。先刻よりも少しだけ早足で廊下を渡りきり、まずは二階の廊下を覗き込む。人の気配はない。階段を上り廊下を見る。およそ十人、と言ったところか。気配のする教室へと足を急がせる。動悸がして自然と息が上がる。廊下の突き当たりの窓から差し込む深い橙の光がくすんだ廊下に反射して目を焼いた。なにも考えず考えられず、衝動に任せて僕はひとつの扉を開けた。扉の滑る音が思いのほか耳障りに響いて薄く夕陽が入り込むだけの暗い教室が眼前に広がる。見慣れた光景のはずだ。惨状だった。
 その部屋で立っている人間は一人しかいなかった。もう少し早く気がついていれば。いつも通り草食動物が群れているだけだと思っていた喧騒の中に既に悲鳴が混じっていたのかもしれない。ロッカーに背を預けてぐったりとした男子が小さくうめいた。頭から流れている血はどす黒い。怪我の浅いらしい女子が一人教室の隅に座り込み、両手で顔を覆っていた。倒れているのは男子三人に女子が四人。椅子と机は列を乱しその教室にいた人と同様に倒れている。安っぽい板張りのワックスでつるつるとした床にはぱたぱたと黒い液体が零れている。すすり泣きと倒れた誰かの名前を呼ぶ細い声。立っているのは、教室の入り口で呆然とした僕と両手で椅子を持った彼女だけだ。
廿楽、さん」
 喉がからからに渇いている。たった今僕の存在に気付いたかのように、静かに彼女が振り返った。彼女が持つ椅子の足は黒く汚れていた。頭が痛い。なんだ、笑えるんじゃないか。なのにどうして、




ないているの




(08/04/06)