関ヶ原グロテスクアンソロジー「永劫に廻る」にお題「望む物」にて寄稿させていただきました。






 立つは地の上。ざりと鳴る砂の下、固い地面を足裏に感じる。耳の奥には喧騒と銃声を、鼻は咽るような血の匂いを感じとった。ああそうか。瞼の裏に描くは一人の男。ゆっくりと、目を開けるとその男が描いた通りの場所に、描いた通りの表情で立っていた。なにかつらいものを耐えるような、それでいて決意を固めたようなその目が不快でたまらない。矛盾は罅だ。そこを始点に亀裂が広がりいずれ瓦解へと至る。瓦解するは弱き者。弱きは滅ぶべき悪だ。だから三成はけして矛盾を抱かない。迷わない。左手に握る重みの存在を確認する。家康の口が開き、言葉を紡いだ。口上を述べ拳を構える、それに呼応するように三成の口からも、咆哮があがった。家康を殺す。それだけに、頭の中が、黒く黒く塗り潰されていく。どちらともなく足を踏み出し、その進みは徐々に速くなっていく。早く殺せと、細胞のすべてが叫ぶのだ。びりびりと。見る間に近づく家康は右肩を引き拳を大きく振りかぶる。その瞳の奥に最早初め、静寂の中で向き合った怯えにも似た逡巡は見当たらない。ただごうごうと、燃えるような光だけが三成の姿を映していた。その中の三成が姿勢を落とし、刀の柄に右腕をかける。握る手に力がこもり、三成の指の先を白くしろく染め上げた。その光を消さなければ。
 ふ、と目を開けると暗闇の中だった。手足を伸ばし背を床につけた、正しい姿勢で空を見上げている。身体を動かそうとして、叶わなかった。なんという身の重さだろう。近頃休息が足りていなかったのかもしれぬ。
 感覚が戻れば、三成のいるのは布団の上であることがわかった。暖かな布団は三成をやさしく包んでいる。夢に見た、家康の目の色が脳裏に浮かんで神経がささくれだつ。なんだ、その、迷いだらけの目は。戦いたくない、殺したくない、そう男の目は言っていた。同時にそうだとしても、それをせねばならぬとも。くだらないことだ。その逡巡が、いつか家康を殺すのだ。刀にかけた右腕を、夢の中で引き抜くことはついぞなかった。その右腕を引き抜いて、あの身体をばつさりと裂いてやることを想像してたまらず笑みが喉奥から漏れる。ぞくぞくと身体が歓喜にうち震える。殺す。そうだ、殺してやるのだ。そのとき右腕に走るだろう感触を想像して、右手のうちがびりびりと痙攣する。高く高く右腕を掲げると、かけられた着物から出た二の腕の先がひどく冷えた。なのに右のてのひらは焼けつくように熱いのだ。家康の命を奪う。その歓喜に懸想して。
 三成は変わらず眠らなかった。次に意識を手放したのはやはり前回と同様に、眠らず食わず、そして飲まずを長く続けた末でのことだ。ばったりと床へ倒れこむ中で意識を深く沈めていく。
 相対するはなにも変わらぬ同じ目であった。じつと三成を捕らえている。成したくないことなど成さなければいいのだ。三成にはわからない。迷うことそのものが。家康の口がいつかと同じように動き、構えの姿勢をとる。殺せと、三成の全身すべてが躍動し、その動きを促した。咆哮と共に駆け出しながら、きっと今回はうまくいくに違いないと、意識の裏で確信する。家康が右腕を振り上げて、三成は己の刀に手をかける。いつぞがちりと動かなかった右腕は容易に動いて、すらりと出でたしろがねにきらめく刀身は、ずばりと家康のわき腹から腹へ、胸から肩へと引き裂いていく。刃の走る通りに切り開かれた家康の皮膚が桃色の肉を晒して刹那、切り込みの通りに血液が噴出する。家康は顔を白くさせて、右腕を振りかざしたまま動かない。三成の左脚が地につく。ざりり、と足の裏が地をおさえつけるのを感じながら刃を返す。血に濡れたそれの細く尖った抜き身が、さく、と家康の太く逞しい首の中へと入っていく。そのときの家康の間抜けな顔と言ったら!
 咆哮と同時に身体がびくりと跳ね、意識が浮上した。詰まった息を小さく吐くと、疲れてもいないのに、ぜえと荒い息が漏れた。数度小さくゆっくり呼吸を繰り返していると、障子の向こうで見張りの小姓の声がした。吉継様です。その気配を障子の向こうに感じることはできなかったが、名を耳にしただけで少なからず安堵する。警戒が解けると共に身体の力も抜け、深く息を吐いた。前回と同じように、いつの間にか三成は布団の中に仰向けで横たわっていた。ゆっくりと上半身を起こす。「三成」「……なんだ」喉が痛み、ひびの割れたような声が出た。すうと障子が開かれる。ひんやりとした風が吹き込み、夜の腐った匂いがした。「うなされていたのか」「たいしたことではない。捨て置け」吐き捨てればそのまま去るかと思ったが、予想外にするすると音もなく近寄られ三成も怪訝な顔をする。かちゃりと枕元の近くで陶器らしい音がして、ずいと眼前になにかを差し出される。「水よ」「いらん」身を引こうとして、ずると身体が仰け反った。身体を追いやろうとしたがつっぱる左足にうまく力が入らなかったらしい。はだけた着物から太腿がざららと掛け物を擦る。視線を上げると、ぬめりとした白い、吉継の瞳があった。不思議と既視感のある、しかし確かに吉継のものではないはずのその色をなぜだろうとぼんやり見つめていると、唇に器が当てられた。そのまま僅かに傾けられた器から垂れた水は三成の唇を濡らし、幾許かは口の中へも滑り込んだが残りはすべて顎を伝い落ちてしまう。けれどもそれで満足したのか、吉継は器を置くとまた、するすると音もなく部屋を出て行った。
 次の睡眠は三成にしては早く、また非常に希有なことに自発的なものであった。なんとなく、確信にも近い予感があったのだ。眠る度にあの夢の続きが見られると。
 その通りであった。眠りの中の世界ではやはり家康が、同じ顔で、同じ身体で、同じ目で三成の前に立っていた。名乗りの口上。三成の吸う息が浅くなる。深呼吸をしようとするが、どうにもうまく吸えぬのだ。深く吸おうとしては失敗し、ぜひと息が漏れ腹の筋が引き攣る。駆け出して家康の腹から肩へと防具すら砕く斬撃を撃ちだし、喉元を狙う血を浴びた鋭い刀身。無駄な力を加えてはならぬ。そのまますうと、やさしくそよ風が葉を撫ぜるように。左手を刀に添える。ぷちと首へ埋め込まれた刃はすると家康の首を進んだ。半分近くへ至ったところでこつと僅かに硬いものにあたる。あ、と濁った音が家康の口から出て宙に浮いた。硬い部分との間をしゃりりと上手に潜り抜けて、ぶつぶつと幾つかなにかを切り落とすような感触。それらが過ぎてまた肉だけの柔らかい部分を経て、ぷつりと皮を切りやっと刃は再び空気へと触れる。さらりと、水平に三成の刀は家康の肩の上を撫でやった。それらすべての感触と過程を、刀に添えられた左手の腹がまざまざと記憶していた。左てのひらに残るは確かなる、家康を討ち果たした感覚。魂を刈り取った感覚であった。ごすん、と重い音を立てて地面へ転がる家康の首。迸る血液を雨のように湧かせるその胴体。噴水のように血液を撒き散らしながら、身体はがくんと倒れ落ちた。三成もその血を身に浴びて、ぬめつく血に塗れている。首はごろりと地に伏せて、三成からは後頭部と、赤黒くなめらかな断面しか見えない。踏み出す足には感覚がなかった。それでも一歩、一歩と首の元へと近づいていく。乾いた唇が家康の名を呼んだ。憎しみを孕まずその音を紡いだのは、どれほど久しいことであっただろう。あと数歩というところで、踏み出した右脚から力が抜け、崩れるように座りこむ。「いえ、や、す」伸ばした震える左手が粗雑にその黒い髪を掴み上げて、右手でそれを支え、ゆっくりと、少しずつ、その顔を己のほうへと向ける。
「ああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああ」
 右脚がなかった。左腕がなかった。いや本当はもっとずっと前のことだ、左脚がなかった。そしてそれよりも更に前、開けた砂原。関ヶ原の戦いの地。向かい合った二人の男。立つは一人、伏せるは一人。右腕がなかった。ない、ないのだ。どれもない右腕も、左脚も、左腕も、右脚も、どれも肘膝に届かぬ長さに切り落とされている。布団の上で暴れもがくがなににもならぬ。ただ褥をひっかいて、皴を作るに過ぎぬ。身の向きすら思うままには変えられぬ。手足をじたらばたらとさせてみたところで、どれひとつとしてさしたる干渉力をも持たぬのだ。ばたばたと、かけられた着物だけが跳ね波打った。「ぎょっ、ぎょうぶ、刑部う! 刑部うううううう! どっこ、にいるんだ! 刑部! きてくれ! ぎょおおおおおおおぶうううううううううううううううう」やたらめたらと転げまわり、身体のぶつかった枕元の文机は倒れ乗っていた急須の中身を畳に染み込ませる。どすりと襖にぶつかって、跳ね返りまた転げる。いくらかそうして三成が叫び暴れ狂っていると、どたどたと重い足音が廊下の遠くから近づいてきて障子を壊しかねん勢いで開かれた。「石田ア!」そのまま小姓がいくらか止めようとするのも無視して、元親は部屋へ押し入ると、未だ恐慌状態の三成の元へと歩み寄る。「ぎょおおおおおおうぶうううううううううう、ぎょうぶううううううううう」「石田、おい、しっかりしろ! おい!」「ぎょお、ぐっ、うっ、うう、」げほげほと息を詰まらせ涎を零す三成の身を起こし、背をさする。「ぎょう、ぶううう」割れた器の上を転げたのか、その背や腹は真新しい血がいくつもの裂傷から溢れていた。最も新しい右足の縫合部からも血がとろとろと流れ始めている。「おい……おい、一体どういうことなんだよ……おいサヤカ! アンタはなにも問題ないって言ってたじゃねえか!」廊下に立ち二人の様子見ていただけの孫市をいくらか恨みがましげに睨んで、元親は赤子にするかのように三成の背を撫で続ける。まだ暴れようとしているが筋肉も落ち、肋のすべて浮き出るほどに痩せた三成では元親を跳ね除けるほどの力もなかった。「……知ったことか。我らに重要なのはその男の生死のみ、気がふれているかなどは関係ない」「あぁあぁ、あんまりじゃねえか……。こんなになっちまってよう」「日々の様子の観察はしている。……日ごろはもっと穏やかだ。こうした状態に陥っているのを見るのは我らも初めてで、……」あまり表情にこそ出ていないが、孫市自身驚いているのだろう。どうすべきか、とんと見当もつかぬのだ。元親のように迷わず近づき宥めてやることもできぬ。しかし元親の努力の甲斐もなく、三成の縋るような呼び声が治まる様子は一向になかった。「石田……どうしちまったんだよ、大谷はもう、」「……す……」「し、」「い、……え……やあ……す……」「しんじまったじゃ……」「いえ、やすう……」「ねえ……、か」「いいぃぃぃぃいいいいいえええぇぇぇぇええええやあああぁぁぁぁああああすうううううううぅぅぅぅぅぅぅぅぅぅぅぅぅぅううううううううううううううううううううううう」



 ふ、と目を開けると暗闇の中だった。ありもせぬ手足を伸ばし背を床につけた、正しい姿勢で真っ黒な空を見上げている。星が見えぬのだから、それは空ではなく、天井なのだろう。身体を動かそうとして、叶わなかった。身体はひどく軽いのに。



「光色さん。光色さんはどうして泣いているの?」「泣くのは、悲しいからだ」「光色さん。光色さんはどうして悲しいの?」「悲しいのは、自身の希望と現実、その間に隔たりがあるからだ」「光色さん。光色さんはどうしてその隔たりを越えられないの?」「隔たりは、人の信念の違いだ」「光色さん。光色さんは異なる信念とわかりあえないの?」「わかりたかったんだ。そして、わかってほしかった」「光色さん。光色さんは、わからなかったのね」「ああ。なにも、わからなかった。そして、わかったところで、結局、なにも変わらなかっただろう」「光色さんは、失敗したのね」「ああ。これは、挫折だ」「光色さんは、過ったのね」「ああ。ワシが、間違っていたんだ」「光色さんにとって、闇色さんは鯉のようなものだったのね」「……ああ。そうだ。そうだ。ワシが池を埋めたんだ。なのに、ワシは、なんて、」




 これで大丈夫などと、安心はけして許さない。三成が生き永らえている限り、何度だって、なにを失ったって、三成は必ず家康を殺しに向かうのだ。逃げ道だけを駆け抜けて終わりになどさせようものか。
「すまない、三成」
 枝のように痩せ細った三成の首を、無数に抉れ変形し、傷ばかりに覆われた大きな手が包み込んだ。三成の目には最早その手も、その男の顔も映らない。ただそのてのひらの温かさから、男の目だけはありありと眼前に映すことができた。その弱さと愚かしさと隠せぬ矛盾に、冷笑が口元に浮かぶ。初めから、わかっていたくせに。
 その日やっと、男は干からびた鯉を埋め立てた池へと帰した。





なにも望みはありません




(12/03/18)