邪険にされ、陰口を叩かれながら生きるのには慣れている。いつだって、そうしてよそ者として生きてきたのだから。それでも三河の、故里へ戻れば勿体のないほどの好意を惜しみなく注がれるのだから十二分に贅沢ものだ。己よりも、臣下の痛苦が耐え難い。
 集団とは排他的になるものだ、よそ者が受け入れられるのはどれほどに難しいことか。家康は骨身に沁みて知っている。今では陰口にだって怒りや悲しみを感じるよりもまず、突きつけられる現状をただまっすぐに受け止めて、そうかと納得するのみだ。それに感情を得るよりも、如何にその現状を打開していくか、考え、行動に移すことが優先的であるのだから。
 幸か不幸か、そうした場面に出くわすことはそう珍しくもない。けれどこの広い大阪城の中で、わざわざ巡り会うのはいささか因果めいたものも感じてしまう。それだけ多くの者に忌まれているのであろう。
 文句ばかりが出るのは兵らに疲れや不満が溜まっている証拠でもある。無礼とただ切り捨てるのは安直であるし、畢竟気にしたところで仕方がない、というのが結論だ。陰口にも気づかぬ暗愚と見られるも不本意だけれど、わざわざ兵らの盛り上がっている最中を突っ切って場を凍らせることもあるまい。「よくもああ大きな口を叩けるものだ」「ありゃあ夢想家がすぎる、現実をわかってねえ」「お坊ちゃまなんだろ、世間知らずに決まってら」盛り上がる兵らを尻目に目的地へと足を進めた。歩調に合わせてぎいと廊下の床板が鳴れど彼らが気がつく様子はない。いつどこで誰が聞いているか、わからぬのだからもっと気をつけたほうがいいと忠言のひとつもすべきだろうか。「でも徳川がでしゃばると、必ず三成様が大怒りだろ?」飛び出た名前におや、と思ううちにああ、と数人が息を漏らす。その意味は、聞かずともわかる。「あれは気味がいいな。すかっとするぜ」「そうかあ? おりゃあどうしてもあいつは苦手だ」「某もだ。普段も恐ろしいがな、とりわけあの戦場での戦いぶりがなにより怖い」先ほどまでの賑わいは何処へか、兵の声が低くなる。
「ああ、ありゃまるで――」
 声は遠ざかっていく。己よりも、人についての誹謗を耳にするほうが家康にはよほど、居たたまれない。
 知らぬ間に詰めていた息を解く。歩調が早まっていたようだ。
 ――獣のようだ。
 嫌悪よりも根の深い、おぞましきものへの畏怖が、男の声から滲んでいた。心臓が僅かに逸るのは、早足のせいであるのだろう。

*  *  *


 やはり因果めいたことに、丁度向かう先は件のひとで、豊臣秀吉の左腕・石田三成のもとである。相対しているかと思われた文机は空であったので、それではと向かった庭先で一人、熱心に剣を振っている。盛夏は去れど未だ暑い。いくらか減ったジワジワと降る蝉時雨の中、磨き上げられた刀を振るう度に汗と刀身が陽光に煌いた。
「三成」
 一度目には期待しない。刀は常通りの速度で宙を裂くけれど、なにかを傷つける様子は見られなかった。ここが、彼の神の城であるからだろう。刀身を鞘のうちへと滑らせて、納刀されたその一瞬ののちには、既に刃が幾度も空を切っている。その速さはとても家康には真似できぬ。防ぐだけならまだしも、同じ速度で繰り出すことはできまい。斬撃の数を数えながら、波の静まる刹那を見て、二度目。「みつなりい」間延びした音で呼びかけてみるけれど、動きが止まる様子はない。三度目のあたりからは望みも湧いてくるのだが。まあいいか、と勝手に廊下へ荷物を置いて腰掛ける。腿の上に肘をついて、目を瞑る。眼裏は昼の明かりに赤く、風を切る音と地を踏む砂の音、蝉時雨より遠くに僅か、人の息遣いが聞きとれる。目を開けば気がつけないだろうほどうっすらとしたそれが、目を閉じれば視覚の代わりに三成の形を描き出す。すらりと、明瞭な刀身の滑る音に目を開くと、チキンと金属音を立てて彼の愛刀は眠りについた。
 まっすぐに立って、振り返った彼の表情はおよそ想像通りの仏頂面だ。その表情が訴えるのは、「何の用だ」想像と現実の言葉が被る。「、家康」完璧ではなかった想像に、けれど残念である以上に思わず笑んでしまう。けれどもそれが彼には不可解なようで、家康がそうするほどに眉間の皴は深く、切れ長な目は不快に細められる。
「用件を言え。そして去れ」
 無遠慮に言い放つと突き刺すような視線を逸らして、小姓に差し出す手ぬぐいで汗を拭う。ああ、そうだな、家康も懐より目的のものを取り出し三成へと差し出した。睨むような視線が手の先を見る。丁寧に折られてはいるが雑紙で、また家康に託すことからも窺える通り、そこまで差し迫った用件でもないのだろう。
「半兵衛殿からだ」
 それは彼も解しているだろう。解しながら、家康の手から奪うように文を取って、丁寧な指さきで、けれど手早くぱと開く。目線は一気に紙面の上を二度滑って、今度はゆっくりと紙を折り畳み、懐へと仕舞いこんだ。その宝物を扱うような細く白い神経質な指さきをどこか不思議そうに見つめながら、もうひとつ、持ってきていたものを差し出してやる。
「なんだこれは」
「梨だ」
 その答えにまた不機嫌そうに顔を歪めて、いらんと掠れた声が返る。そうした答えも想定のうちだ。「まあそう言うな。今日もろくに、飯さえ食べていないんだろう?」「知ったような口を利くな。腹は空いていない」
「旬の盛りで、よく熟れている。ワシもひとつ食べたが、本当に瑞々しかった」
 手ぬぐいで口元を覆うその上で、視線がちらと家康の掌の中の梨へと向いた。食欲よりも渇きに訴える、それも家康の作戦だ。ふん、とひどく不服そうにひとつ鼻を鳴らして掌大のそれを、やはり奪うように取る。珍しく素直なものだと意外に思っている間に、小姓になにか申しつけて、少年の持った脇差を引き抜く。向かうのは当然と言うべきか、左手に持つ梨だ。
「……三成」「なんだ」
「流石に人を切ったもので食べ物を切るのは……」
 訴えも空しく、三成の手の上で梨はすっぱりと一刀両断される。ああ、とあがる家康の声が一際悲しげに響いた。小姓の持ったままであった鞘へとぞんざいに脇差をしまって、切った半分、僅かに大きなほうを家康へずいと差し出した。
「貴様も知る通り、私は脇差は使わない」確かに。斬首にさえあの長細い愛刀を用いていることは、家康も知る通りである。敵を蹴り転がし、その腹を踏み鞘の先が胸を押す。その上に、生白い刀身が引き出されていく。
「なにも切っていないものだ」そんな光景は、何度だって目にしている。
「試し切りくらいしていそうなものだが、……三成、自分の食べる分を少なくしようとしているだろう」
 応えながらも、差し出されたものを拒みはしない。受け取る指先が触れる。
「以前、ものは人と食べたほうが美味いと貴様が言った」
「いいわけがうまくなったなあ……」
「馬鹿にするな」
 二三尺の間を置いて、三成も家康の隣へと腰掛ける。
 馬鹿になんてしていないさ。応えて、しゃくりと梨をかじる。果汁がじわと口の中に広がり、咀嚼すれば果肉の甘みと皮の渋みがなんとも丁度よい。「うん、うまい」三成も、家康の横で果実に歯を立てる。こちらは小さいので、すぐになくなってしまうだろう。それぞれの指を伝い、汁が垂れ落ちていく。家康の拳に巻かれた包帯へも、じとりと滲んでいった。
「三成、おまえは誤解をされやすい」
「もうその話はいい」「いいや」
 何度だって言わねばならぬ。三成が、欠片でも納得して頷く日まで。そしてその日のこない以上、こうして交わせる限りにはいつまでだって、言い続けるほかがない。
 最早それは二人の間に、幾度となく繰り返された議論である。けれど三成にしてみれば、それを誤解であると思わないし、誤解であったところでそれがなにか。さしたる痛みにもならない、地を這う蟻の生の如き瑣末事だ。
 一方の家康は上に立つ者としてどうとか、諸々に言い分はあるのだけれど、ひとつを採るのであれば、気性は如何あれ三成のひたむきな様を美点と見て、それが欠点としてばかり強く表れている現状を惜しんでいるにすぎないのであるが、これらが話せばいずれかの折れぬ限りに平行線のままであることは明白である。
 家康の言は兵を率いる身として、人間として改めるようとのものと、美点として特質自体はそのままに斯く在ってほしいとの私情とが混じ入るので、三成からすれば尚更にややこしい。
「畢竟、貴様は私にどうしてほしいのだ」
 そう問われると、情けなくも言葉に詰まってしまう。戦場にて背を預ける同僚として、彼が思っているかは不明ながら友人として、どの言葉を選ぶのが適切であるのだろう。
 獣だと、見知らぬ男は言った。それを否定したいのだ。そんなことはないと、見せつけてやりたい。それが自己満足でしかなくても。そう知っている限り、それは徳川家康にとっては極めて優先順位の低い問題である。けれどもせめて用事のついでに口を出すくらいのことは、己にも許してほしい。
「貴様は話しても、話さなくてもわからない」
「ワシは……、うん、おまえが人間だと、皆に知ってほしいだけだよ」
 繕えば理解へ遠のくばかりだろう。失礼を知りながら素直に伝えれど、特段不愉快がる様子もなく庭先を見つめ梨を咀嚼している。嚥下して、「私は人間だ。わざわざ証明するまでもない」なにも不思議などはない、その応えに、はと顔が緩んでしまう。そうすると精悍な眉尻も下がる。
「ああそうだ、獣が道具を使うものか」
 じとりと、三成の視線が家康を睨んだ。それを流すようにしゃくりと梨を食む。ぽたりと、果汁が垂れる。戻ったら、包帯を新しく替えなければ。
 獣であるとも、思われたところで構わないと言うのだろう。それを思うとどうにも侘びしく、やりきれない。
「貴様の改めろという話は聞き飽きたが、近頃は私にも思うところがある」
「……なんだ」
 微笑を繕い、隣を見る。それを一瞬じと見る目に、常の睨むものとは異なるものを見たような気がしたのだけれど、名をつけることは敵わない。
「半兵衛様のお求めになる豊臣のための私と、私の目指す私が、少しずつ乖離しているように感じている」
 それはおよそ、家康の想像を超えた言葉であった。驚きに三成の横顔を見つめるが、先刻なにかを見たように思えた目よりも余程に静かなそれからは、感情を読み取ることができない。
「私はいずれかを選び、私を改めねばならない。半兵衛様のお求めは、絶対だ。半兵衛様はいつだって正しい。けれど時には、それを知って尚、どれほど愚かであっても、私は私の求めるように動かなければならない」
 盲目でありながら、忠信の形を彼なりに探っていたのだろう。三成の言葉をどこか感慨深く聞きながら、ならば己はどうするのかと自問する。
「自分のために生きろと、貴様は言った。私は私のために生きている。そのために、半兵衛様のお望みを裏切ることもあるだろう。どうだ、答えに不足か」
 近頃には、はじめのように無視されることもなく、ただ頑として話を聞かないことも減り、うまく付き合えていたかのように思えば、なるほど。いつしか先を越されていたようだ。参ったな、と思わずこぼれた笑みに、やはり三成の表情は険しいものとなる。笑うのが、馬鹿にされていると感じるのだろうか。だとしたらそれは間違いだ。けれどそれを伝えたところで、理解してくれるだろうか。
「次は貴様の番だ」「ん?」
 不躾なほどの視線に、やはり、微笑んでしまう。そうしていつでも睨むから、余計に人を恐れさせてしまうのだ。勿体のないことに。
「いい加減、その愚かな真似をやめろ」
 指すのは包帯の巻かれた拳である。これに、言及されたのは数度目のことだ。初めてそうして戦場に立ったその折より。 「それは聞けない」そして答えも決まっている。
「ワシの覚悟だと、言ったろう」
「貴様にできることではない」
 しゃくりと、梨をかじる。残された芯を伝い、透明な汁が腕へと滑り落ちる。槍を捨て、武器を捨てた。人を屠る、痛みをもっと己に近い部分で感じるために。それは覚悟であり、償いであり、戒めだ。必要な苛みだ。拳がどれほどに潰れ、ひしゃげ、裂けて血を流そうと、その拳で戦わねばならない。そのからだで歩まなければならない。
 けれどもその覚悟が、三成には気にいらないのだ。武器を捨て、拳ひとつで戦場へ出るようになってから、血の滴る拳を隠すため日常布と包帯を巻くようになってから、殊更にいつだって三成はその拳を、家康を睨む。それをしてよいのは、できるのは、彼の至上ただ一人であるのだ。家康には許されない。けして成せるはずがない。
「貴様は人に言うばかりだ」
 ぐいと、右手首を捕まれる。芯のみとなった梨を取り落としたのは、不意であったからだけではないだろう。
「人でなくなるつもりか」
 薄い色の瞳が、強い力をもって家康を睨む。そうした相対する視線に応えねばなるまい。じと見つめ返しながら、口を開く。きっと薄情な響きとなるだろう。「その必要が、あるならば」返答に、ぎりと三成が歯噛みして、顔を歪める。眉間の皴の深いまま、ふとその視線の力を消して、視線を斜めの下へと逸らされる。
「貴様は、」憤りと苛立ちが、声に滲む。
「人に聞けと言うくせに、……」
 捕まれていた、べとつく右腕が乱暴に解放される。その声に滲んだ、もうひとつの感情を知っている。知っていた。この瞬間に、気がついたのだ。
 一瞬間にこれまでの己の誤解と、気のつかなかった事実が頭の中で繋がって、思わずあっと小さく声を上げてしまう。そして横の男を見て、う、と息が詰まった。睨んでいるように見えた、その眼球の向こうの感情が透けて見えてしまいそうで、そしてその眼差しに己のずっと、深い、内側まで見つめられてしまいそうで、恐ろしく、この瞬間に初めて、三成と視線の焦点が合ったかのようだ。
 うまく言葉が選べぬまま、まごついているとずいと眼前に、なにやらを差し出される。なにかと身を引きながら受け取って、見ればそれは先ほどに梨を切った脇差だ。いつの間に小姓の手から奪ったのか。
「家康」
 一度気がついてしまえば、つっけんどんに名を呼ぶ声さえ優しいようで、耳を塞いでしまいたくなる。
「貴様はこれを持て。道具を使う限り、人間なのだろう」
 手の中にずしりと落とされる。久しい重みだ。笑おうとして、上手にできなかった。秋のにおいのする、べとつくそれの重さと、与える声のらしくもない優しさが、どうしたって結びつかなかったのだ。




*   *   *





 江城。将軍の私室の奥に、今も一振、無銘の脇差が飾られている。
 戦場で使われたのはたったの一度。
 天下分け目、関ヶ原の戦にて敵将の首を刈り取ったのが、この脇差であるという。






わたしのぜいじゃく




(13/09/22)