収納場所を失っていたワインの瓶たちが、ギルガメッシュによって瞬く間に空にされていく。ワインとはそう喉を鳴らして飲むものだったろうか。それなりに値の張った濃紫の液体はするすると金色の男の喉奥へと流れ込み消えていく。綺礼にしてみれば生活の中で他に見ない贅沢であった金額も、男から見れば桁としてさえ認識されぬはした金であるのだろう。そうした益体のないことを考えながらぼんやりと男を眺めていると、その視線にずっと気がついていたとでも言うように、淀みなく男の視線が綺礼のものへと重ねられた。途端、日ごろ人と相対する折目を見つめることになんの苦もないはずが無性に目を逸らしたくてたまらなくなる。しかしどうしてか、逸らすこともできないのだ。綺礼の心中を知ってかギルガメッシュの双眸が愉快げに細められる。そうした男の態度はいつも綺礼にとって不愉快である以前に不可解だ。何故この男が自身に構うのか、綺礼にはわからない。
「綺礼」「なんだ」
「お前はこの酒にどんな肴を宛がった?」
 知らず名を呼ばれ緊張していた意識が解けた。男が話し出すと、一体なにを言い出すものかとつい身構えてしまう。今回は随分と些事であるらしい。「つまみを用意することは、ない」さきの緊張を気取られぬよう努めて一音ずつ噛み締めるように吐き出すと、不服そうに男は鼻を鳴らした。そしてやれと言いたげにソファから徐に身を起こす。「綺礼よ、酒そのものの味を愉しむのはよかろう。しかしそれだけというのも面白みに欠けるのではないか」言いながら、テーブルの上の瓶を取り空になった器の中へと注いでいく。「様々な可能性を試さずに見切りをつけていては目前の探し物にも気づかず通り過ぎかねん」逆さまにされた瓶の口からぽたりぽたりと垂れ落ちる雫を見つめながら「チーズならば台所に、」と思わず言いかけて口を噤んだ。あったとして6Pチーズだ。とても男の口には合わないだろう。「お前に酒以外の供物は期待していない。ふむ、だがなにか口にしたくなってきたな」立ち上がり、新しいワイングラスを取り出し中身の入った瓶のひとつを拾うとソファへ戻り酒を注いでいく。
「まあお前も飲め。我が直々に肴を用意するのだからな」断ったところで無駄だろう、大人しく言われるままに席を立ちギルガメッシュの横、一人掛けの椅子に腰を降ろす。眩い光と共に男の背後の空間が揺らいだ。料理の乗った美しい食器たちが出現し、ギルガメッシュの前に並べられていく。サラダ、スープに前菜二皿と主菜という揃いはどう見ても肴ではなく食事だ。前菜はイタリア料理定番の三色が眩しいカップレーゼ、もう一皿は切り開かれた無花果の中に生ハムが収められている。どれも近所のレストランでも出てきそうな平凡な料理だ。事実そうなのであろう。如何にして宝物庫へ納めたのか、そんなことは知りたくもないが。
「お前はこれで満足なのだろう?」
 向けられた嘲笑に近い嗜虐的な笑みを含んだ声に、はと気がつく。綺礼の前にはパンの乗った真白な皿だけが置かれていた。薄ら焼き色のついている、中心からぐるりと巻かれた掌大の丸いパンである。それを見つめて、顔をあげると毒々しく赤い光に射抜かれた。男がふと優しげな微笑を浮かべる。それに隠しようもない不快感を覚え眉を顰めたが、顔を下げた男にそれは見えなかったのか、或いは気づきながらそのままにしているのか。男は傷ひとつない手でナイフとフォークを取り主菜、豚肉のソテーへとナイフを入れた。どろりと溢れた肉汁とソースの香りが混ざり綺礼へと届く。やわらかい肉へざぶりとフォークを刺し、男は口の中へと肉片を運んだ。ゆっくりと咀嚼し、小さく頭が動くと共に嚥下される。一切の無駄がなく流れるようなその動きは、時臣の人工のそれと異なり天性のものに違いなかった。
「食べたいか」
 男の目はナイフに身を切られる肉へと注がれている。綺礼は問いに答えない。肉の刺されたフォークを持った腕が、ぬめりと綺礼の眼前へとにじり寄ってきた。唇に温かな肉が触れる。甘い、果実の香りが鼻腔を擽った。視線をあげるとぬらぬらと濡れた目が綺礼を見下ろしている。そこに強制力はない。試しているのだ。どちらを選んだところで男は悦ぶに違いないのだから。零れた肉汁が綺礼の顎を伝い、僧衣へと垂れ落ちた。赤い視線を遮るように目を閉じて、綺礼は静かに唇を開いた。



無重力の赤色




(12/04/22)