燃えるような夕焼けの中、丘の上に彼女はどれだけの時間立ち尽くしていたのだろう。時間という概念の失われた世界で訪れた悲劇の景色をありありと見せつけられる。贖罪を求めるかのように。
停止した世界はまるでパノラマのようだ。それでも彼女の手によって斃れた息子の悲痛に歪む死に顔が、累々と伏するかつての同胞の屍が、それを紛れもない現実であるのだといくらでも知らしめた。目を背けることを許さない、その情景の中で繰り返し、願うことは再生だ。こんな情景は齎さない。こんな悲劇へは至らない。己を使い、世界へ捧げる願いはひとつ。必ずや奇跡を手に入れて、この悲劇を白紙に返す。
「アルトリア様」
自身を呼ばう声にはっとした。どうやら少々、夢の世界へと旅立ちかけていたらしい。顔をあげると、歳近い馴染みの召使いの少女が憤然と立ちはだかっていた。
「……どうかしましたか、エリザ」
「どうしましたじゃありません! あれほど淑やかになさるよう日頃から口酸っぱく申しあげておりますのに、またやんちゃを致しましたね」
通例のような説諭を受けて、アルトリアは然知ったりとその原因を思案する。ドレスの汚れ、使った剣の後片付け、人の目、どれも気をつけたはずである。ではどこから、と思惟したところで、前にする少女の眉が先ほどよりも釣りあがっていることに気がついた。これはいけない、と素直に謝意を表すこととする。
「エリザ、すみません」「私が求めているのは謝罪でなく、お嬢様の二度としない、という言葉ですのよ」「ちなみに、どこから判明したのでしょう」「ちっとも反省しておりませんのね……」ブラウンの瞳がじとり、と彼女へ向けられる。「あなたに心配をかけたこと、すまないと思っています」「ガウェイン卿が親切にも教えてくださりました」「ガウェインめ……」
憎々しげな主の声音に、はあと少女は溜息を吐く。どれほど言おうとこの頑固な美しい娘は聞き入れないと、長い付き合いの中で知っているからだ。
「気づかぬあなたとは思いませんが、私もガウェイン卿も、あなたを心配しているからこそ言うのです」「ええ、理解しています。それに応えぬことを心苦しいとも」「それでもやめないのですね」
呆れたように言う声は、けれど随分と柔らかかった。その強情は確かに難点であるのだが、彼女のそれを貫く先にはきっとなにかがあるように、少女には感じられるのだ。
「ごめんなさい、エリザ」
「仕方のないお嬢様。せめて、ほどほどにしてくださいましね」
そう悪戯っぽく言う少女の明朗な笑みに、いささか沈痛な面持ちであったアルトリアもつられて顔を綻ばせ、ありがとうと感謝を告げた。
言いつけに反し剣を持ったことは兄であるケイにも伝わっていたようで、その後父と兄からも叱りを受けることとなった。己が叱られるのは一向に構わぬのだが、それで人が叱られるのはたまらない。落ち着いたところにちょっと昼寝をと人へは伝え、布団の中にドレスを詰め軽装に着替えると最早手馴れた経路を使って屋敷を出る。
目的の人は常と変わらぬ場所で鍛錬をしていたので探すまでもなく見つけることができた。アルトリアの姿を認め、少年も嬉しいような困ったような複雑な表情をする。
「ベディヴィエール」「また抜け出して来たのですか」「ええ、あなたに謝らなければと」
アルトリアとそう歳の変わらぬ彼が、彼女の剣術の師である。誰に乞おうと女の彼女に剣を教える者はなかったところ、唯一彼だけがその頼みを叶えてくれたのだ。
「元より叱りは受けるものと存じていました。知って尚、好きでしているのですから、いいのです」
「ですが、」「ならばもうやめますか?」
う、と彼女は言葉に詰まる。続ければ彼に迷惑がかかる。そうわかってはいるのだが、続けたいと、そう思う気持ちもまた打ち消せぬ事実であった。
「私は続けたい。遠からず、続けられなくなるときが来ます。せめてそのときまでは、続けたいのです」「ええ。叶えましょう」
温和な微笑と共にあっさりと快諾されて、アルトリアは思わず肩透かしを食らった。彼にメリットなどないだろうに、どうしてと目を白黒させる。
「あなたは清廉な方だ。その誠実さはあなたの剣を磨ぐでしょう。その剣がなにを齎すのか、私は見たいのです」それは偽りのない、素直な告白であった。それから一瞬、後ろめたそうに視線を外して表情を曇らせると、逡巡の末に漏らす。「本当は、もっと別の術を選んだほうがよいのでしょう。しかし残念ながら、私には剣しかない。なにか他のものが見つかれば……」
「いいえ、これでよいのです」
その負い目を晴らすように、彼女は明澄に断言した。
「あなたには感謝してもしきれません。ありがとう、ベディヴィエール。
これがよいのです。私にはこれが必要なのだと、直感が訴えるのです」
なにの確信もない、少女の言葉がなぜだか彼には至極その通りに思えて、漠然とした憂慮を振り払うように「それでは私も追いつかれぬよう頑張りましょう」と冗談めかして目を細めた。
平和であったブリテンに影が差し始めたのはユーサー王の世継、モードレッドの戦死からであった。不幸中の幸いか身篭っていた彼の妃が難産の末に男児を出産したものの、その子は凶兆の証とされる脚萎えであった。死期を悟っていたかの如く後見人を立てた直後に没したユーサーに代わり、赤子の王が誕生する。しかし脆い地に建てられた城は崩れやすく、攻められやすい。未だ小国であったブリタニアは転がり落ちるように亡国へと向かった。王国の騎士団は分裂し、近隣諸国は領土を得んと攻め込んでくる。王が消え、後見人たる重臣が消え、或いは離反し、国は王制を失った。
多くの領主が国を追われ、アルトリアの父たるエクターもまたその一人であった。彼は娘との亡命を決意したが、彼女は逃走よりも祖国と共に死することを選んだのである。斜陽の前に騎士団へと入団したケイは戦場で果てたとの知らせがあった。
父娘の悶着の末、頑として譲らぬ娘に折れたのは父のほうである。一人残された屋敷。西日に赤く燃える町並みを窓より見つめながら彼女は涙を流した。
「私は、なんと無力なのでしょう」
不甲斐ない己を恥じる心は憎悪に代わり、ひたすらに少女は自身を呪う。
「魔法使いよ、私は、なにもできないのですか」
悲痛な呼びかけに応じるように、どこからともなく白髪のローブの男が現れる。孤独な少女の前にふらりと現れた魔法使いの老人は、戯れに物語を聞かせてくれた。一人の少女が王となり、国のために戦う夢物語である。自ら王位を戴き未来を切り開く。無力な彼女には、その荒唐無稽な物語の主人公である少女が羨ましかった。
縋るように見つめる少女の頭を魔法使いはあやすように撫でて、彼女の問いの答えとした。
されど落日は燃ゆる
(12/07/08)