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人間を含め生物植物、命あるものはなにであれ、等しく地球、もっと広く言ってしまえば宇宙、そして更にその向こう、どこであっても大なり小なりの空間を己の身体で占め、なにかしら栄養を吸収し不要なものを排出して生きている。そういった点でそれらはなにも変わりない。平等だ。しかしこの世界で平等なものを探してみると、そんなものはないに等しい。あるとすれば、時間が平等に降り注ぎ、いずれ必ず死に至るといったことくらいだ。それだけと言っても過言ではない。 俺も間違いなくその循環に組み込まれた生命のひとつに過ぎず、偶然この学校のこの教室でこのクラスメイトらと共に降り注ぐ時間を身に浴びているというだけで、それ以上でも以下でもない。午後の授業も三時限目、いやに単調な教員の声を聞き流して外を見る。昨年度と比べてしまえば視界の高度は下がったけれどそれでも眺めは悪くない。都会というよりは田舎寄りのこの町では八月の内に夏休みが明け授業が始まる。まだ樹木は青々とした葉を茂らせ陽光を一身に受けて輝いていた。少なくとも俺なんかよりはずっと。 窓際後ろ寄りの我が席からは教室を大きく見渡せる。ざっと確認しただけでも五人は眠っているように見受けられる。今日の授業はこれで終わりだという開放感もまた睡魔を増長させるのだろう。無理もない、現代国語と言えば、高校生にとって睡眠時間へと昇華される科目ナンバースリーには必ず入っているだろう。試験はノートを見て漢字や語句の意味さえ押さえておけば、答えは全て本文中に書かれているのだ。そうわかっていながら何故満点が取れないのかと言われるとなにも反論ができないが。つまり高校生とはそういう中途半端な生き物だ。凡そは。 がたがたと椅子が床を引っ掻く喧しい音にはと顔を上げて立ち上がる。週番の気だるい挨拶に続いて数名がありがとうございましたあなどと間抜けな声を出す。礼を言う気は窺えない。そんな温い挨拶をするくらいならいっそなにも言わなければいいのだ。違いない。 授業が終わり教室は休み時間のような騒がしさになるが、すぐに担任がホームルームをすべくやって来る。しかしこのクラスの担任はどちらかと言えば緩い人間であるから、友人と集まっていた生徒は席に戻るものの話し声は僅かに残るしロッカーに立つ者もちらほらいる。担任は深い緑のヘッドフォンを肩に掛けてプリントの山を前列の生徒に渡していく。盛りの過ぎた夏のいくらか柔らかくなった光を反射してヘッドフォンがきらと光った。担任が目で確認できる程度に近づいてきた模試と試験の話をし、実行委員が文化祭のキャッチフレーズについての話をしてホームルームは終わった。どうやらもうすぐ文化祭らしい。俺には関係のない話であることは言うまでもないが。ずるずると中身の詰まった机と椅子を引きずって教室の後方へと運ぶ。文化祭とは、また、面倒な季節になったものだ。どこのブランドかもわからないシンプルながら使い勝手のいい暗い枯草色の鞄を持って廊下に出る。隣のクラスは既にホームルームが終わっていたらしく騒がしかった。空気を切り裂くような笑い声にマフラーの下で口元を歪めて、狭くなった廊下を早足で渡る。一分でも一秒でも早くこの建物から抜け出してしまいたかった。一歩でも学校から出てしまえば、町は驚くほど静かだ。その静寂を想像しながら、廊下の角を折れようと足を踏み出したところで残像のような気分の悪い臙脂が視界を覆った。あ、と口を開いて身体を動かすより先に右肩に鈍い衝撃が走り、受けた力の通りに傾いた身体は左肩から壁へと着地した。ぶつかった男が悪態を吐いて謝りもせずに駆けて行くのを右目の端に見た。彼らはぶつかった一瞬で謝るべき相手か舌打ちすべき相手かを判断しているのだ。誰であれぶつかれば謝罪すべきではないのか。壁に肩を預けたまま舌打ちをする。ふと帽子の鍔ではない影が落ちてきた。誰であるかは身長と肩口で揺れる茶の髪からすぐにわかってしまって、俺は先刻よりもずっといやな顔をする。こういう奴だ、こういう奴の為に文化祭は存在する。 「大丈夫、ナカジ」 「…………うるさい」 ずるずると壁に肩をつけたまま足を運んで角を曲がる。ぶつかってきた男には見覚えがあった、恐らくこいつはその男と鬼ごっこにでも興じていたのだろう。あれもまた、言うまでもなく文化祭を謳歌する人種だ。男はこちらに向かって来ていたくせにわざわざ逆方向へ進む俺についてくる。「あたったとこ、いたくない。保健室行こっか」「いい」あんなことで怪我なんてするか。言ってやりたいのを抑えて階段を降りる。歩調を速めると視界からそいつが消えた。かえっちゃうの、と間延びした声が後ろから飛んできて、返事をしないとぱたぱたと足音が近づいてくる。筋肉質という程ではないが貧相なわけでもない、身長もそれなりにあるくせにこいつは砕けた女のような話し方をする。いや、いまどきは女だってこんな話し方ではないか。教室でだって彼女らは大声で下賎な単語を飛び交わさせては雑言を叫ぶ。対してこいつはあまり直接的な話はしない。男子高校生としてはそれもどうなのかと言うとよくわからないが、一応男子高校生ではあるけれども話さない俺からすればその点だけは好ましくないこともない。ないにせよとにかく俺はこいつの甘えたような話し方が嫌いだ。身のこなしも嫌いだし、容姿も嫌いだし、話す内容も嫌いだし、なにもかもが嫌いだ。こんなにも俺が人を嫌うことは珍しい。それはあの男、アンテナ売りの言っていたことであるが言われてみれば確かにそうであるかもしれない。かく言うあの男のことだって俺はあまり好く思っていないのだが。 「ね、オレも帰るから待っててよ」「待たない」 そう言いながらも昇降口へと着いてしまって、足を止めることになる。俺は走ることを好まないからこいつが走って教室へ戻り鞄を取って来たならば、俺が学校の敷地を出るまでに追いつくことができるだろう。しかしそいつが教室へ戻る様子はなかった。俺になにか頼んでも断られることは初めから了承しているし、飽くまでぎりぎりで本当に俺の嫌がることはしないという方針らしい。その付かず離れずと言った具合も腹立たしい。尤もどこぞの餓鬼のように付き纏われるのも鬱陶しいし困りものである。要するに付かず離れていて欲しい。下駄箱を開けて下駄を取り出すと下に落とす。下駄箱を真に「下駄箱」として使っているのは言うまでもなく教員を入れてもこの学校に俺だけであることはまず間違いないだろう。このご時世、私服として下駄を履く酔狂な奴などそうそう居はしないのだ。なにげなくタローのほうを見ると、こちらを見てはいたがぼんやりと焦点の計れない目とかち合ってしまって逸らすタイミングを失う。向こうははっとして、俺は顔を顰める。大股で数歩、ゆっくりと早足の丁度中間でそいつが此方へ近づいてきたことに因って、数メートルの距離はあっという間に埋まってしまった。近い。気持ち悪い。俺は目だけ上げて十数センチ高いそいつの顔を見る。常にへらへらと緩んでいる顔が珍しく整っていた。いかん。じり、と追い詰められるように数センチ足を後方へと滑らせる。無駄な抵抗であるとはよくわかっていた。昇降口掃除はまだ始まっておらず、廊下の人通りも少なかった。掃除担当の教員も来ていない。昇降口には二人だけだった。 「ナカジ」 背中が下駄箱に当たる。後がなくなった。内緒話をするように、少しだけ顔を寄せられる。そんな、真面目な顔をするな。言いようのない不快感が競り上がって来たが言葉通り言いようもないのでなにも反応ができなかった。乾いた口が抵抗の辞を述べようとしたが言葉にならないような掠れた音しか漏らせない。言うな、なにも言うな、頭の中でだけは苛つくほどクリアに言葉が作られた。 「好きだよ」 いつの間にかそいつの左腕が顔の脇を通って下駄箱に置かれていることに気が付いてマフラーを巻いているはずの肩と首筋が寒くなった。無知の愚かさ故か恐ろしいほどに純粋な目に真っ直ぐ見つめられて目を逸らせない。呼吸をするタイミングすらない。ふと悲しそうにそいつが眉根を寄せて俯いたのを好機と反撃に出ることとする。そうしなければ逃げられない。「何度も聞いた」「うん、言った。もう何度も言ったけどね、何度言ったって、足りないんだ」ああ、と苦しそうな嘆息が聞こえた。足元を探って下駄に足を通す。そんな台詞は廊下で何時間も同級生の痴情や下半身について話し合える、おまえを可愛いと賛美してくれる女たちに言えばいい。 「悪いが一人になりたいんだ」「ナカジはいつだって一人でいたいし、ましてオレに一緒にいてほしいときなんて永遠に来ないだろ」うな垂れて言うタローを尻目に出口へ向かい、よくわかっているじゃないかと嘲笑してやる。俺はこいつの言うことなんてこれっぽっちも信じてはいない。好きだと、俺を。巫山戯ているとしか思えない。巫山戯ているのだろう。俺は男だし、こいつも男だ。こんなことは、一時の余興だ。からころと小気味好い音がコンクリートの地面を叩く。こんなことは、あいつの気まぐれでしかない。こんなことはすぐに終わる。そう、長くは続かない。続いてたまるか。と言うもののあいつからのしつこいアピールはここ数ヶ月ほど続いていて、迷惑極まり無かったがそれといって大きな被害はないし不便もしていないから今のようにあまり相手にせずあしらうようにしていた。放っておけば、いずれ止む。 こんなことを言えばまた、ひどいと言って涙を浮かべて俺への愛を左から右まですべて説明しようとしてくるだろう。そしてそんなことをされても俺にはなにも響かない。なにも感じない。それが悪いとも思わない。本当でも嘘でも、どうでもいいのだ。あいつが俺をどう思っていたところで関係はない。本当ならば少しだけ不毛な恋とは災難だと思ってやったくらいだろう。早くこんなことはやめればいいのにと、思っている。やめればいい。それについては何度も言った。その度にそうはいかないのだと返された。なにがそうはいかないのかわからない。あいつの告白は、思い出したようにされる。ふと思い出したように、本当にその瞬間に気がついたとでも言うように、なんでもないことのように、それでいてそれなりの重さを伴ったような表情で、そう伝えてくるのだ。付き合って、と言われたことはない。言われても困る。断るだけだ。あのなにも知らぬような目と相対することは大概が恐怖となって俺を蝕む。しかし、それだけだ。それだけ。校門を抜けて、自然と足が速度を増した。「俺は感情がないんだ」 古いアパートの階段は錆びていて踏む度にぎしぎしと鳴る。三枚目の汚らしい深緑の扉の前に立ち拍子抜けするような感触の呼び鈴を鳴らすと、間の抜けた音が廊下まで響いた。すぐに扉が開いて仏頂面が、ああ、あなたですか、と無感動な声を漏らした。俺も挨拶をせずに脇をすり抜けて玄関へ入る。 「ナカジ!」 下駄を脱いでいると釈迦が腹へと飛びついてきた。ぐらりと体勢が崩れる。「下駄。脱ぐからやめろよ」引き剥がそうと頭を押しやるが腕はしっかりと腹に回されたまま離れない。諦めて下駄を足でなげやりに揃えて部屋へ上がった。その間も釈迦はにゃあにゃあと擦り寄ってくる。やめろと言ってもやめないし抵抗すれば喜ぶのは知っているから無視をする。放っていればいずれ離れる。 「最近来ませんでしたね。久しぶりなんじゃありませんか」「そうかな」そうよそうよと抗議の声が高らかに上がっている。それも無視する。最後に来てから、二週間近く経っていた。ここへ足を運ぶのが億劫だった。一口頂きなさいと釈迦が食べていたケーキをフォークに刺して執拗に押し付けてくるものだから、しつこさに負けて口にした。にやにやと彼女の目が三日月型に歪んでいる。屈辱だ。こっちは望んでもいない間接キスをさせられて気分が悪いのに、横の男がそれをまた感情の見えない目で見てくるものだから余計に気分が悪い。して欲しいなら自分で言えよ。絶対断られるだろうけど。 「帰りたいんだけど」「来たばかりじゃない」もう十分だ。 「……オフィーリアとおんなのこは」 「大概いませんよ」「あとであなたが来たって言ったらきっと泣いて悔しがるわ」ケーキをフォークに突き刺しながら心底嬉しそうに言う。そんなことで二人が泣くはずがない。男は無言の無表情で俺の帰宅を促している。そう思っているならなにか、俺が帰りやすくなるよう気のひとつでも利かせて欲しい。 なにとなしに壁に掛かった時計を見ると、まだ四時になる頃だった。サラリーマンはまだ道を歩いていない。 「あんた、仕事はどうしたんだ」さして気にもならないが話題もないので口にする。「今日はもう終わりました」言いながら、当然のように空になった皿とフォークを持って立ち上がる。そうやってあんたが甘やかすから釈迦はわがままになるのだと言ってやりたかったが止めた。周りがどうでも釈迦は変わらない気もしたし、あいつが片付けなければいつまでだって皿はテーブルの上に置いておかれたのだろう。水を流す音がした。なにごとに対する姿勢も適当でやる気はないが、仕事や家事に関することは几帳面らしい。所在なさげに釈迦は床に寝そべっている。彼女や彼が毎日なにをしているのかを、俺はあまり知らない。彼女はなにもしていないのだろうけれど、なにもしていない中で具体的になにをしているのか気になることもある。気にはなるけれど、わざわざ訊ねるほどではない。彼は日中は仕事をしているのだろう。仕事とは、アンテナを作ったり取り付けたり外したりするものだ。そのアンテナがなにを受信するアンテナであるのか、俺は知らない。テレビでないことは確かだ。そちらについては訊ねたことがある。「作るのも取り付けるのも、必要だからですよ。外すのは、必要がなくなったから。尤も、外すことなんて滅多にありませんがね」これが彼の返した答えだ。結局なにを受信するのかは、まったく答えてくれなかったから恐らく彼自身よくわかっていないのか、言いたくないのだろう。面倒だから追求はやめた。釈迦の頭に刺さったアンテナも、彼が作ったものだ。薄い黄色で、かざぐるまの形をしている。やはりなにを受信しているのかはわからない。或いは発信しているのかもしれない。それと同じものであれば、俺も作れる。随分と昔のことになるが、彼に教わった。もう長いこと作っていないが、今でもいざとなれば作れるはずだ。つまり構造や材質を理解しても、彼のアンテナの正体はわからない。作り方も材質も、ただのかざぐるまとなんら変わりのないものだった。作る人間によってそのアンテナには力が宿るのだろうか。色々と考察してはみたが、答えは出ないし彼はなにも教えてくれないとわかったから考えるのはやめた。必要なときが来れば彼も話さずを得ないだろう。 「そうだ。あなたに話さなければならないことがありました」 戻ってきて向かいに腰掛けた彼が口を開いた。丁度似たようなことを考えていたので、俺は僅かに身を固くする。マフラーの中でなんだ、と呻いた。わざわざこうして話されることにいい話などあるわけがない。 「あなた、あれはまだ持っていますか」「あれ」「あれですよ。あれあれ」いい歳をして、この男は馬鹿なんじゃないだろうか。そんな代名詞だけで会話ができるほど俺とこいつは親しくないし、特別な話題も持っていない。 「あなたが村を出るときに持っていたじゃあありませんか」「村を出るとき」彼の言葉を反復して、もうずっと昔のことを思い出す。もう十年も近く前のことだ。あまりよく覚えていないし、忘れたい。「マフラーか」「そんな目の前にあるものを持っていますかなんて、訊ねるほど僕も馬鹿じゃありませんね。それにあのマフラーはもう捨てたはずですよ。刀のほうです」「刀」前回ここへ来たときに観た白昼夢を思い出した。開く扉。立っていた男。そうだ、あの扉の向こうに立っていた男の手に握られていた刃物は、刀ではなかっただろうか。何度も血を洗われた刀だ。くすんでいた。しかしそのときはまだ誰も切っていなかったのか、刀に血は一滴も付着していなかった。その刃は俺を狙っていた。刀を持った男は真っ先に俺のいる場所へとやって来た。俺を殺そうとしていた。呆然としていると、アンテナ売りは俺が忘れていると思ったのか呆れたような顔をした。「帰ってからわざわざ私が血を洗ってやったじゃあありませんか。いつか必要になるだろうからと取っておいて、あなたが一人暮らしをするときに荷物に混ぜたはずです」「……ああ」そういえば、そうだったかもしれない。「まさか、捨ててはいませんね」「捨てては、ない。たぶん、押入れの奥にでも」喉が渇いた。そうだ、あれは九年前のことだ。彼に連れられて中古の砂で汚れたジープに乗り込むとき、おれは首に血塗れの青いマフラーを巻き、大事そうに鞘に納められた刀を抱いていた。持って行くべきものは、他にはなにもなかった。マフラーは俺の意志で巻かれたものであったが、そもそも刀はその場に捨てていくつもりだった。こいつが、それも持っていこうと言ったのだ。こんなものは使わないと言ったけれど、使えますと通して男は俺を助手席に乗せた。荒っぽい運転で、俺は何度も嘔吐した。そもそも車に乗るのが初めてだった。何故、その刀の話を今になってするのか。 「あることにはあるだろうが、俺に刀は使えんぞ」 「大丈夫ですよ、使えます」「そもそも持ったことがない」「持っていたじゃあないですか。私の車に乗るときに」「あれは抱えてたと言うんだ。鞘にも入っていたし」「神経質ですね。使えると言ったら使える、それでいいじゃないですか」「使う気もない」「それはいけない。使うべきときには使ってください」 ねえ、と平然と言う男が突然おそろしくなってぞっとした。こいつらは人間じゃない、人間じゃあないのだ。この男も、彼女も。更に言えば、オフィーリアも、おんなのこも、人間ではない。おんなのこは幽霊であるから正真正銘人間でないことは確かだが。珍しく、アンテナ売りは少々おかしそうに笑った。もうすぐ、ことが始まる、と言った。「彼女が十四になります」それの意味するところが俺にはわからなかった。彼女が十四歳になって、それがなんなのだ。十四歳になるとなにかあるのか。意味がわからなかった。ただ、彼は怪しいし、なるべく信用してはいけない男だとはわかっていた。彼女の年齢にどんな意味があるのかは知らないが、その年齢は彼にとってのなにか基準で、十四歳になった彼女を彼が姦通するということも十分に考えられる可能性のひとつだ。そもそも二人は既にそういう関係を持っているのかもわからない。邪推だとは思うがあながち現実とそう遠く離れた妄想であるとも思えなかった。彼が彼女に固執しているのは疑いようのない事実だ。 「それでおまえは、俺になにをさせるつもりだ」 まさか今になって刀を捨てろだとか、もしくは神社だか寺に納めろだとか、そういう話ではないだろう。刀を使えということは、なにかを切るということだ。俺に、切れと言うのか。なにを。動物だって嫌だし、人であればもっと嫌だ。いままでどれだけ俺が地味に平凡に生きてきたと思っているんだ。十七にして前科持ちにはなりたくない。 「現時点では、如何とも言えません。ただ」 そこで言葉を切り、思わせぶりに彼は俺を見た。彼女はうつ伏せで、どんな表情をしているのかもわからない。 「来るべきときが来たら、あなたは人を殺さねばならない」 耳にも目にもし慣れた「ころす」という単語がずしんと腹に響いた。突然そんな話をされても実感は湧かない。一般高校生は日常生活の中で死とは無縁だ。死にたい、と考えることはある。殺してくれ、と考えることもある。しかし、誰かを殺そうと、考えたことはない。学校の人間に死ねと思ったことはある。何度もある。そういった妄想のとき、彼らを殺すのは俺ではない。俺は手を下さない。天災や事故、もしくは通り魔や殺人鬼が彼らを理不尽に痛めつける。俺はそれを笑いを堪えながら見る。目の前にいる、なにの抵抗もない人間に包丁を向けてそれを突き刺すのは簡単だ。したことはないけれど。自殺と同様に理由もなく誰ともなく人を殺したい衝動に駆られたことは幾度もある。それでも殺さない。普通はそうだ。脳は理解を拒んでいる。 「そろそろ、あなたにも働いて貰いますよ。次のアンテナ売りはあなたなのですから」 なげやりにわかってると応え、ずるずるとにじり寄り膝の上へと乗ろうとしていた釈迦を剥がす。俺はなにもわかってない。彼らが、釈迦やアンテナ売りが『なに』であるのかさえ。 |