#bsr_trip

「あれ、今日はお店を開けないのですか?」
「言ってなかったかい、今日から三日は休みだよ」
 ほあ、と間抜けな音の漏れた口を思わず塞ぐ。聞いたような、聞いていないような。「おいおい、休むのかいたっちゃん」背後から飛んできた声に振り返ると、通りすがりらしい恰幅のよい壮年の男が笑っていた。何度か店でも見たことのある顔だ。軽く会釈をする。
「当然さ! 稼ぎ時と言やあその通りかもしれないが、店を壊されちゃあ堪らないからね」
 呆れたように返すのはたっちゃんと気さくに呼ばれたわたしの目の前の女性である。京都へ辿り着き家も職もないわたしを丁度人手が足りなくなってきたからと雇ってくれた、タカラさんという女神様のような方だ。女手一つで食堂を切り盛りしている。わたしは飽くまでバイトだ。
 今では遠く懐かしき我が世界にいたころと比べれば、ずいぶんとわたしも筋肉質になったものである。手も連日の水仕事でぼろぼろだ。様々な点でも鍛えられた。例えば時計がなくてもおおよその時間がわかるようになったし、目覚ましなしでも起きられるようになった。これは奇跡的なことだ。人間やればそれなりになんでもできるらしい。そもそもこの世界には向こうのような暖かく柔らかな布団はないし、そもそも布団に入れることが滅多にないので落ち着いた眠りというものがない。今はとても安い借家、ここでは長屋呼ぶのが近いか、そうしたものを住まいとしてはいるが、まだ布団は揃えられていない。やっとそれなりに落ち着いて、人間らしい生活ができるようになってきたと言うだけで十分に僥倖であろう。生きて延びているだけで奇跡のような世界だ。職と住まいさえあれば、あとのことはどうにでもなる。
「三日間、なにかあるのですか?」
「祭りだよ! お・ま・つ・り」男性がぐっと、わたしの前へと身を乗り出してきてにやりと笑んだ。近づかれただけ遠ざかろうとする上半身を引き留めて、そのままの姿勢で首を傾げる。お得意様だ、機嫌を損ねてはよくない。わたしはそう取り立てて見目のよい女ではないが、よそからきた若い女というだけでそれなりに話題性があるものだ。尤もそれは好意的というより、見せ物小屋を見物する物珍しさに近いのだけども。ラインはあるとして、売れるものは売るスタンスで、遠慮も躊躇もなく生きていこうというのがこの世界へ来て得たポリシーのひとつである。わたしを見に来て客が増えるならば女将さんへの顔も立つ。
「京名物のひとつさ。盛り上がるのはいいけどほどほどにして欲しいもんだよ」
 男に換わり、たっちゃんこと女将さんがわたしへ説明してくれる。
「どのようなお祭りなのでしょう」
「喧嘩祭りさ」
 甚だ迷惑でたまらないという女将さんと心底楽しそうな男があまりに対照的で、とっさに対応を判じかねたわたしの口からはほあ、と再び間の抜けた音が漏れた。




 


(13/01/10)