#bsr_trip

 なんて物騒な祭りかと初日は引っ込んでいたが、二日目には祥太郎さんという、女将さんの店のお得意さまが誘いに訪れたので顔には出さずも渋々ながら物見へと出かけた。
 この祥太郎なる男、歳のほどはわたしとそう変わらぬのだがそれなりに裕福な家の五男だか六男だか、とにかくたくさんの兄弟の末っ子で、わがまま坊ちゃんに育たなかったは幸いであるが想像に難くなく世間知らずの、情感豊かな青年である。彼はわたしに気がある、と言うのは些か早計か。興味があり、尚且つそれなりに入れ込んでいるようだ。京の町には外から来る者などそう珍しくもなかろうに、わたしへ一体どこから来たのか、どうして来たのか、生い立ちはなどと好き放題に問いつめた末、身よりのなく着の身着のままであることに深く同情しなにかと気にかけてくれている。そうしてくれるのは有り難いし嬉しいし助かるのだが、正直に申せば少々複雑なところだ。しかし現状わたしの住む長屋の家賃の半分方を融資してくれているのは彼であるのでなにかを言えた立場ではない。
さん、本当になにもいらないんですか?」
 少しばかり曇った声にはっと我に返り、横を歩く男を見る。「あ、はい。あまりお腹も空いていないので」なにしろこのお祭り価格だ。ちらと見たそば二十文の文字に頭が痛くなってくる。「そう言うが、起きてからなにも食べてないでしょう」「そ、れはその通り、なんですが……」「あ、おねえさん、林檎飴ください」隣の足が気まぐれに止まって、屋台のひとつへと向かっていく。わたしも立ち止まって彼を待った。通りは並び立つ屋台とひしめき合う見物客とでよく賑わっている。特に見たいわけでもないが、肝心の喧嘩をしているところはまだ見られていない。遠くで人の騒いでいるのが聞こえるのでそれなりに近くでは行われているらしい。
「はい」
 ずいと、眼前に差し出された赤いものを見て、それから祥太郎さんの顔を見上げる。逡巡の末、受け取って礼を言った。「嫌いだったかな」「い、いえ。むしろ長らく甘いものからは離れていたので、嬉しいです」「それはよかった」わたしの言葉に機嫌よさそうに笑むので、尚更わたしは複雑な気持ちになる。彼の優しさ、いやそも優しさと呼ぶかも定かでないが、享受している側としてそう呼ぶとして、その優しさは野良犬へ施しを与えるような気紛れとわたしには映る。与えることが目的なのだ。素直に受け取れば、それだけで彼は喜ぶ。だからわたしは喜びながらただ受け取っていればいい。それでわたしは助かるし、彼も施しを喜ばれてWin-Winだ。そう思いながらも、どこか腑に落ちないのはなぜか。なににせよ、結局は受け取ってしまっているわたしに異を唱える資格なんてやはり、これぽっちだってないのだけれど。ぺろりと舐めた飴はつるつるとして、ひどく甘い。




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(13/01/13)